嬬恋の歴史

浅間山は縄文人を潤したか。

日本最古の人骨が洞窟・岩陰から見つかった!古代史に係わる大きな発見や新たな解釈が出るたびに、自分たちの祖先はどこから来たのかという血が騒ぎ想像力も浪漫も駆り立てられる気分です。 つい最近、隣町(長野原町)の岩陰遺跡から8,300年前の縄文人の人…

冊子 「嬬恋村の文化財」

嬬恋村の文化財紹介本がリニューアル たいがいどこの市町村でも地域の文化財を紹介しした冊子がまとめられていて様々な形で案内や地域紹介がされていますが、今年はこの一帯は真田丸に関する歴史や文化財などが人気です。私もここの嬬恋村の文化財調査員に係…

ふたたび、雪山讃歌について

『雪山讃歌』、ダークダックスの喜早 哲さんとの運命的な縁3月末に亡くなったと報じられたコーラスグループ・ダークダックスのメンバー喜早 哲さん(享年85歳)。『雪山讃歌』との出会が彼の人生を変えた。 雪山讃歌は1926年(昭和元年)、雪に閉ざされた嬬…

真田氏の祈願所、大笹の寺・無量院

大笹邑の六連銭の寺 大河ドラマ「真田丸」も始まって2か月。天正壬午の乱の真最中で、生死を賭けた武将や国衆の思惑と駆引きがスリリングですね。旧真田町に隣接した我が小さな村にも真田一族の残した足跡が驚くほど多いけれど、取り上げる機会に恵まれなか…

立春、待ち遠しい春です。

昨日は節分でしたから、浅間山の鬼のお話・・・今日は立春ですが、みなさん、昨日のうちに鬼は追い払いましたか? 私の家も以前は豆(大豆)を煎った物を投げて鬼払いをしました。そして残りの豆を神棚にあげて置き、立夏の初雷に食べるしきたりでした。今は…

真田、武田氏が信頼した鎌原氏の居城地

鎌原城址、整備され甦る。 武田信玄の西上野(上州)攻略拠点となった鎌原城は訪れる人も少なくなって林の中に静かに佇んでいた場所。その城は真田氏による西上州支配およそ120年の歴史が始まった最初の舞台でもあり学術的にも評価が高い。真田丸の前に史跡…

田代地区に残る「義勇軍」という地名

◆地名が伝える少年農兵の歴史 田代集落から鹿沢温泉に行く道路がパノラマラインと交差する場所の右側一帯、そのわずか西方の高台の耕地を地元では「義勇軍(ぎゆうぐん)」と今も呼んでいる。 交差点の角には陸軍予科士官学校跡地の碑が建っていて戦時下に一…

地域の言葉「おてんま」は古き時代を伝えているか。

道路の清掃日、地区の相互扶助が残る活動、 「おてんま」とは。 嬬恋では春と秋に地域住民達で一斉に清掃活動をやっている。10月1日は秋の道路愛護活動の日。昔から行われてきた住んで居る地域の道を修復したり清掃する活動だが、日頃の倒木片付けや用水路の…

真田街道、大笹宿〜真田町の道しるべ

真田氏暗躍の街道、今に残る真田邑と大笹宿の道標 真田氏が上田城に移る前に居留地としていた真田町は、背後に上信越国境の鳥居峠を越えて沼田にいたる上州街道(信州街道)を控えていた。のちに真田街道と呼ばれた道だ。信州や上越との交易地にありながら真…

六文銭の謎? 下谷一族、2つ家紋の謎

「真田丸」のブームの前に気になる家紋 すぐ近くにあるのに中々訪ねることも無かった下谷一族の宗家(御本家)。調べたいこともあって訪ねると「もう、私の代でこの家は終わりにしたい」と一人住まいのおばあさん。代を絶やさないために私の父親が縁をつくろ…

嬬恋村のことをお話ししました。

住んで居る地域を好きになってもらう為に・・・出前の講座です。 都会に出ても、自分は嬬恋村で育ったことに自信を持って、誇りに思って話せる人を増やしていきたいと云う気持ちもあって、郷土の自然や歴史などを少しでも多くの人達に知ってもらおうと、時々…

浅間山の大明神は何故、入れ替えられたのか?

磐長姫命は祭神ではなかった!? 今は、浅間山に登る時に参拝するつもりで登ることも無ければ、山の祭神が誰なのか気にすることも無くて当たり前ですよね。それより火山としての山の知識ででしょうか。戦後、高度成長に入るころまで、浅間山にも神様がいて、…

杏雲堂、佐々木政吉氏が支援した浅間高原の払下げ運動

浅間高原(南木山)解放活動を支えた、佐々木政吉氏 先日、神田雪ダルマフェアーに行ったとき、近くの杏雲堂病院に寄ってみた・・・・ 嬬恋村が誕生する直前、浅間山麓一帯には広大な国有山林(約13600ha)を生活の糧にし深く係わる六カ村があった。新しい明…

長篠の戦いが終わって武将は出家した・・・

戦乱の世に、苦悩する侍・さまよう僧侶 縁があって、10月に長篠の合戦の舞台となった愛知県の新城市を訪れる機会ができた。武田軍には群馬の武将もたくさん参戦していたが、死者、負傷者も多かった。 これは嬬恋・応桑地域の菩提寺・常林寺の第5代の住職に…

祝 NHK大河ドラマ「真田丸」  大笹宿誕生

〈大笹村〉は嬬恋村で最初の都市計画で作られた!? 嬬恋村が合併してできる前の12村のひとつ、大笹村は唯一商人の街として発達した地域で農村に在って独特の発展をしてきた。その大笹村の当初は今のところではなくて上流の吾妻川を渡った北山開拓の入り口…

日本の生糸を世界のブランドに押し上げた貿易商

きのう28日は貿易記念日だった・・・。 鎖国をしていた江戸幕府がアメリカ、イギリス、フランスなど5か国と自由貿易の開始を布告したのが155年前のきのう28日。その貿易港になった横浜が7月1日に開港したが、嬬恋に何の関係があるかと言えば、言葉…

幕末に生糸貿易で日本の近代化に先鞭をつけた男、中居重兵衛

祝 「富岡製糸場と絹産業遺産群」世界遺産登録!上州に花開いた「シルク王国群馬」を先駆けた人財 世界遺産登録は「シルク王国群馬」の時代を広く知っていただくとともに県民として群馬ここにあり、という感じが嬉しいですね。世界遺産になった施設群は今、…

人と物が往来する大笹街道の関所

国道横に大笹関所を復元、まもなく完成! 群雄割拠する戦国の時代、中山道や北国街道の脇往還として大笹を通る仁礼街道(大笹街道)、信濃道は真田氏の重要な戦略路でしたから、1652年に私関として浅間高原の大笹と狩宿に関所を設置しています。その後、沼田…

乱世を生きた一族と武将・・・常林寺とのつながり

長篠城を武田軍団から死守した奥平家忠臣は出家して嬬恋にいた・・・ お彼岸中だからと言う訳ではありませんが、寺巡り戦国武将を訪ねる一人ツアーを実施した。 富岡市の「なんじゃい」(南蛇井)という可笑しな地名(駅名にもなっている)にある「最興寺」…

地域の菩提寺に学ぶ

散歩コースの常林寺、「涅槃会」開催。(3/15)早朝の散歩コースにある龍燈山・常林寺は、山を背に東を向いて建っている。今は広いこの地域一帯の菩提寺になっている。午前中にカメラを持って伺うと、住職と副住職は福井の永平寺へ出かけて不在。そこで住職…

松明、ヒデの明かり、ナタネ油の明かり

アカマツ、ヒデの明かり 赤松の薪割りをすると、枯れた枝の付け根部分にたくさんの松の油が付いてかたまっている。この辺りではこれを「ヒデ」(関東人はシデと発音した)と呼び、昭和の初めごろまで利用があっと言うが、自分たちも小さい時に遊び道具にした…

儒学者 佐々木愚山と嬬恋村

渋川市 真光寺で佐々木愚山翁の碑を探す (12/15) M22年の時「嬬戀村」と言う地名をアドバイスしてくれたのは県の文官だったと言うことを以前にもここで勝手に書いたのですが、その文官とはどんな人だったのか、当時の国学の様子はどのようなものなのだっ…

修験の聖地、四阿山について

四阿山の修験道について。 夏の終わりから村の郷土資料館に少し通ってみました。 熊野信仰と白山信仰はどのようにして四阿山(2,356m)で栄えたのか、何故 熊野信仰は衰え白山信仰となったのかなどと、長く自分の中で解らなかったことがようやく、手が付け…

耐火物の近代化に貢献した ローセキ山

久しぶりのローセキ山、焼成窯 深山の山中に忘れ去られたようにひっそりと建っていた2基の焼成炉に驚き、感動したのは10年ほど前だった。地元でも忘れられたような炉は倒木が寄りかかり樹木で覆われていたが、災害や地震にも耐えてなお微動だにせず立ち覆う…

天明の浅間山大噴火の被災地を走り回った僧侶と江戸の鋳物師

人の縁、地の縁、時の縁 むかし恩師だった先生は今、老人会長をしている。しばらくぶりにお会いしたら、鎌原観音堂に寄進された観音様について調べているから、手伝ってくれと言うので、生徒みたいにわかりました、と返事したのが腐れ縁か。ところが調べてい…

農村の絆を深めた茅刈り

絆について 震災からもうすぐ2年。人と人や地域との絆について、すこし考えた。 画家松山治樹氏から戴いた古民家の画の、茅葺きの屋根を見ながら当時はどういう風に近隣の人が係ったのか釈然としないので、古老たちの記録を探したら、干俣地区の記録があり…

嬬戀村その農業の原点とは

☆ 忘れないために あの震災からまもなく2年。風化を綴る記事も目につくようになった。 一方で忘れないために記録を残したり、イベントや、街づくり、モニュメント等も作られて未来に繋がる想いが形になりつつある気がする。 わが農村嬬戀村が忘れてはならな…

農民に圧倒的な支持を受けた、農業技術者がいた!

高原野菜の技術を広めた熱意の人…塚田國一郎さん 農民にどれほどの感謝を受けたのか、村に大きな碑が残されているのに、今は語られることも無い塚田國一郎氏の地域への思い。塚田氏を伝えるエピソードについてきょうは私からでなく、ひとりの方の口述から紹…

戦後の開拓地の舞台嬬戀、中原開拓について

開拓者の嬬戀村 ―― 中原開拓にいた正橋さんを偲ぶ 冬の厳しい浅間山麓に立つと、厳しかった開拓時代の生活に思いを馳せることが多い。 浅間山麓に広がる広大な高原を有する嬬戀村の畑地帯は、訪れる人を驚かす一面のキャベツ畑がまるで緑の絨毯のように映え…

嬬戀村・・・大好きな地名です!

嬬戀村…浪漫の地名と恋のこころ!? 信州の4市1町1村と接する関東最高地の村、嬬戀。古代史のヒーロー日本武尊は蝦夷を制圧したのち東山道坂本宿から難所の碓氷峠に登る途中、地の神を退けたが深い霧にまかれているところを紀州熊野の八咫烏に救われた。く…