真田街道、大笹宿〜真田町の道しるべ

真田氏暗躍の街道、今に残る真田邑と大笹宿の道標 




真田氏が上田城に移る前に居留地としていた真田町は、背後に上信越国境の鳥居峠を越えて沼田にいたる上州街道(信州街道)を控えていた。のちに真田街道と呼ばれた道だ。信州や上越との交易地にありながら真田氏は真田街道によって上州はおろか、関東との交易、物流と情報にも接することができたから上州街道の存在は極めて大きかったのだと思います。
特に、真田町から鳥井峠を経ておよそ40kmにある大笹宿(現在の嬬恋村大笹地区)は、真田氏の時代に政策的に創られた宿場でしたから、上州侵攻の重要な中継所として栄えました。宿場が整うにつれ、信州須坂の福島宿から大笹宿にいたる大笹街道(仁礼街道)ルートが鳥井峠で合わさって利用されたので北国街道の〈裏街道〉としていっそう、賑わうようになったのです。あまりにも賑わったので江戸時代になると北国街道沿いの宿場から取締りの訴えがあり、幕府が調停に乗り出すほどでした。
往時をしのぶ街道のナビゲーションである「道しるべ」は真田氏の活躍に始まって栄えた時代を今に伝えていますが、道しるべはその役割を終え、車道から離れて静かな毎日を送っていました。

道しるべ写真の解説(写真の上から)
①大笹集落の中央にある道標。浅間山麓の樹海を抜けて軽井沢に至る「沓掛海道」と沼田への分岐の案内になっている。
②鳥井峠の山中に残る百番供養塔の道標。「右は仁礼 左は上田みち」と書かれていて、信州街道と仁礼街道の分岐の案内をしている。
真田町のほぼ中央に残る道標。標柱には「右うへだ まつ志ろ 左すハ こもろ」を案内している。


写真下は真田の道しるべから近い当時の街道沿いにある石柱と解説版