2013-01-01から1年間の記事一覧

私の年末年始

ブログを見て頂いている皆様へ 今年も師走となり、何かと慌ただしい季節となりました。 なにかの御縁でこのブログを見て頂きましてありがとうございます。 師走だからと言う訳ではありませんが、今月は少しアップが遅延してしまいました。それでも、些細で気…

儒学者 佐々木愚山と嬬恋村

渋川市 真光寺で佐々木愚山翁の碑を探す (12/15) M22年の時「嬬戀村」と言う地名をアドバイスしてくれたのは県の文官だったと言うことを以前にもここで勝手に書いたのですが、その文官とはどんな人だったのか、当時の国学の様子はどのようなものなのだっ…

山の女神

樹木を伐採せず、山に感謝する日って? (12/12) 我家の女房は時々古いことを口にする。日中は寒いなりにも陽射しがあったからチョッと管理している山に行こうとする私を見て、「今日は十二さんの日だよ!」と語気を上げて言う。曜日感覚も薄弱な私はあわ…

湧水のある神社

願いが叶う干俣地区にある神社 久しぶりに干俣神社にある湧水を汲みに行ったから、境内を散策してきた。 平坦で広い土地には樹木がストレス無く育ち、林の縁を水草の生える清らかな音無川が結界を作るように流れていて、質の高い空間ができている。 干俣諏訪…

浅間山、北面の前橋刑務所の碑

地名「群馬坂」、伐採作業服役者の辛苦の地!? 浅間山の麓に人気のシャクナゲ園がありますが、そのすぐ隣の沢沿いに前橋刑務所が建てた碑が笹薮に埋もれて訪れる人もなく立っている。 明治の初め頃までここを含めて広大な土地は南木山と呼ばれる国の直轄地…

いい山でした、太郎山

上田市民の山・太郎山へ行く (11/29) 上田の街の北面に立ち、寒さをブロックする屏風みたいに太郎山(1,164m)がある。 山頂の太郎山神社境内には、20年間で2,000回登った人や、年間360回以上訪れた人の記録が残されていて、文字通り市民に愛されている山。…

暖房・・・化石燃料か、薪か・・・

高騰する薪の値段 この冬の伐採のシーズンの前に、前シーズンに集積してあった木を薪用サイズに切る作業で汗を流した。健全なナラの木はまだ伐採時の生々しさが残っていてスゴイ。割ってもあと一年で乾くかどうかギリギリだ。もう一カ所貯木してある山の木も…

11月21日、遠征、浅間山麓ウォーキング

野山散策! 山野跋渉! 今日は場所を変えて浅間山麓ウォーキング。 すでに葉が落ちた林は明るく、見通しのきく林は今が最高。紫式部の実が光輝いて存在感あるし、ウメモドキの赤い実を着けた大木も花が咲いたように華やか。足元には蔓リンドウがまだ残ってい…

月末の新月、伐採はじめに!

チェーンソーを稼働する季節 いつもなら紅葉も終わって冬木立に変わっている時なのに今年はまだ葉が残っているのが目立つ。それでも日増しの寒さで林床は落葉が大分積もって晩秋の音がする。 先日から伐採用のチェーンソーを持って山に入りだした。久しぶり…

非常時に役立つ先人の知恵

自然と暮らす…身近な木を利用する知恵 ダンコウバイやエゴノキと似た香木のアブラチャン(油瀝青)は、今年たくさんの実を着けた。その実がボールのように丸いから子供の時、遊び道具にして楽しんだ。雪の多い処ではこの木で「輪かんじき」を作るところがあ…

自然を観て暮らす

観天望気…煙で天気を読む!? 今、天候は天気予報で知ることができるので、自分で察知することもあまりないから、人間の予知能力は退化しているのかもしれない。山村の高原で暮らすには、その察知能力を取り戻すことも大切なのだと思う。少なくても自然と向…

赤と黒の11月

赤と黒・・・自然界の妙! (11/5) 別にスタンダールの作品のことではなく、自然が作り出す果実の色の赤と黒。しかもごく近い種に対比する色があるから、何故?と思ってしまう。 最初の黒い果実は中部地方以北に生息すると言われるクロツバラ(黒薔薇)。…

浅間高原に地生するスーパーフルーツ!?

自然食品の王様、サルナシの話題 先日、浅間高原に永住している人とお話していて、ジャムや果実酒作りの話から自然の果実のことなどを雑談した時に不老長寿の実?「サルナシ」で盛り上がりました。そこで、紅葉の終盤に霜が降るようになると一層美味しくなる…

晩秋の高い峰

去りゆく秋から初冬へ (10/29) 落葉松がピークを迎えた高峰高原の登山口は、平日だと言うのに秋を楽しむ人達の車で溢れていた。今日は冬のロングトレイル遠征を決めた友人と脚慣らしのために、ここから黒斑山に向かって霜柱の残る道を登る。途中、いつも…

暖かくて実を付けた? ウメモドキさん。

北限? ウメモドキに出会う。 (10/24) 標高1,200m近い友人の山荘から眺める少し小雨の紅葉は気持ちも昂るほど綺麗だったが、その林の中でひときわ目立つ赤い実に眼が止まった。中座して木に立ち会う。初めて見た真っ赤な果実を友人もわからないと言う。…

田代村の始まり

唐辛子、赤く実って田代村できた!? これは、古くから伝えられた田代集落のお話。 関東北西部にあって関東と信越の分水嶺にある嬬恋村。国道144号を吾妻川沿いに上がると鳥居峠の峰に至る。もう風花が舞うシーズンになった。田代村地区はこの手前の原野…

遷宮の新築儀式は不思議がいっぱい!

式年遷宮になぜニワトリの声を発するのか? 不思議な儀式で眠れない!? 先日5日、伊勢神宮外宮の式年遷宮祭がありましたが、この遷宮祭を始めるときに先導の神主さんがニワトリの鳴き声を発していたのをTVなどで見た人も多いと思います。なぜニワトリなのか…

葉隠れに色づくアケビ

半袖姿でアケビに出会う (10/10) 漢字で現すと、アケビは「通草」と記されてぐっと親近感が増幅する。子どもの頃から、紫と言えばこの色だったほど印象が強い。青や紫の連想は、大鹿村でみた鮮烈で透きとおる「ヒマラヤの青いケシ」の記憶に繋がり、最近…

越冬用の薪のために。

薪小屋ができた! (10/9) 薪を届けている友人の別荘に薪用の屋根が欲しいと言うので返事して半年。材料のカラマツがやっと半乾きになったので先月に加工し、組み立て作業をこの3日間かけて完成!今日の台風、雨降らなくてよかった。 会うたびに、いつ出…

日本のヘーゼルナッツの味

縄文の味か、ハシバミの実、トチの実! 朝の散歩コース沿いに、ちょっと変わった三角形のような実を付けたツノハシバミ(角榛)。子どもの頃、これを素手で取ると刺毛が刺さり、いつまでもチクチクと痛かったから毎年、見るだけにしていた。今日は久しぶりに…

閑話休題、神無月になりました。

紅葉のアルプス常念、別世界を覗く!(10/1) 千曲市に在住の友人M氏と安曇野の「一の沢登山口」(夜は嬬恋村から2時間10分で到着)で待ち合わせて、3人でアルプスの常念岳(2,857m)に挑戦!と言っても若くないからゆっくり歩いて往路6時間、復路4時間。さ…

子どもの頃いっぱい食べたグミの実

果実の実るころ (9/24) 秋の果実のシーズンだよ、と教えてくれているのはアキグミ(秋茱萸)。 今年は地面に着きそうなほど重そうに実っていました。低木なのでネズミやキツネそして野鳥も大好物な果実ですが勿論ひとも食用します。小さい時に、待ちきれ…

キャベツ、脇役の盟主!

控えめ・淡泊、光る脇役…いいねッ! ― キャベツの性格です 嬬恋村はいま、キャベツの出荷最盛期。今朝の畑の温度はたった4℃ですから、キャベツも一段と甘くなる季節です。年間、たくさん消費されるけれどキャベツは食卓ではどんな扱われ方なのか、いつも、…

四阿山ならこのルートが面白い!

四阿山、鳥居峠から行く登拝道のガイドマップを作った! 鳥居峠から四阿山へ登るルートが古代からの表参道だったのはわかるけれど、何故、山頂には二つの社(やしろ)があるのか、それはどうして別々の方向を向いているのか、1町ごとに安置された祠は、いつ…

浅間山大噴火と利根川下流域の災害

『天明の浅間山大噴火』の講演と展示会 (9/8) 会場が今回は伊勢崎の大型ショッピングモール「スマーク伊勢崎」。噴火した浅間山のある嬬恋にいて、利根川下流の地区へ行ったのは訳があった。此処できょうは天明の噴火で利根川流域の死者約1,500人に及ぶ災…

秋の七草

浅間の秋の草原 なだらかな丘の続く浅間牧場周辺は、幼い時に父親達が、植林した落葉松の下草刈り作業を野営でやっていたので、一緒に泊まり込み野山を遊びました。名前は知らなくてもたくさんの花や昆虫を見た気がします。先日、浅間牧場の丘にまた行きまし…

修験の聖地、四阿山について

四阿山の修験道について。 夏の終わりから村の郷土資料館に少し通ってみました。 熊野信仰と白山信仰はどのようにして四阿山(2,356m)で栄えたのか、何故 熊野信仰は衰え白山信仰となったのかなどと、長く自分の中で解らなかったことがようやく、手が付け…

230年ぶりの仏像の所在

浅間山大噴火の被災地を走り回った僧侶が残した8体の仏像 被災された地域のために自分達には何ができるのかと思うと心が騒ぐ。 天明3年の浅間山大噴火の悲惨な様子、そしてそこからの奇跡的な復興にはたくさんの支援や力添えがあって成し遂げられている。 こ…

燕岳で夏休み!

夏山へGO!燕岳へ直行!(8/28) この夏はあれやこれやで少し忙しいと思っていたら、8月もあとわずかになった。 天気がよさそうなので急遽北アルプスの燕岳(2,763m)へ山仲間と夜中2時半に出かけた。 嬬恋村から2時間半、中房温泉の駐車場に着くと満天の星…

出稼ぎの村、大賀ハスとの出会い

夏の花、古代ハスを発芽させた大賀一郎と群馬大正から昭和初期にかけて嬬恋村は〈群馬で一番貧しい村〉と称されていたのはやはり事実だと思う。戦前戦後も多くの出稼ぎ者が村を離れた。野麦峠の製糸工場にも行った人もいれば、東京方面に商店や工場にもたく…