六文銭の謎? 下谷一族、2つ家紋の謎

真田丸」のブームの前に気になる家紋

すぐ近くにあるのに中々訪ねることも無かった下谷一族の宗家(御本家)。調べたいこともあって訪ねると「もう、私の代でこの家は終わりにしたい」と一人住まいのおばあさん。代を絶やさないために私の父親が縁をつくろって跡を継いだ経緯があってか、しみじみと話す。しばらく時間が過ぎてから、どうしても聞き留めておきたい事があった。
昔から御本家は六文銭の家紋があり、今も蔵や屋根に六文銭が残っているのに、表家紋を一族と一緒に「丸に七曜」の紋を使ってきた。なぜ家紋が2種類あるのか、云い伝えを聞いておきたかったけれど、すこし気持ちが萎えて言葉に詰まった。


ところが、おばあさんはまだ頭もしっかりしていて、先代のお祖父さんの話をしてくれた。――かつて昔、下谷は浅間高原を支配していた三原の下屋将監の跡取りであったが兄弟喧嘩で分かれ、川の対岸の地、芦生田へ家を構へ、やがて野に下った。争いの末、苗字も、下屋から下谷と変えたが、真田から嫁ぐ人があり持参した家紋六文銭を掲げた、と言う。また、下谷と名乗った時に、一族の出所に係わる家紋「丸に七曜」が下谷の基だったから七曜紋を使ってきたみたいだと言う。驚いたのは、私が父親から断片的に聞いた話が繋がったことでした。「丸に七曜紋」は佐久、望月氏の家紋と同じで、望月=満月の丸に七曜。曜とは星のことだから満月とスバル座の天体の家紋と言われる所以。その繋がりに不思議な気がした。


真田氏を含め、滋野一族(海野氏、望月氏、祢津氏)の成立ちには道教思想が強く、陰陽道なども取り入れて修験道色の強い呪術家集団の一族と思われるから、やはり家紋も「九曜紋」「月形七曜紋」そして「丸に七曜紋」と言った天体系の家紋「月天七九曜」が特色となっている。 「真田三代」の筆者火坂雅志氏は「六文銭」は六連星で、昴ではないかと自説をといていたが、この地方では米の凶作も多いことから麦が盛んにつくられた。スバル昴は麦を蒔く時期を知らせる星として信仰されていたと云う。今に残る下谷家の2つの家紋の謎に少し近づいた気がした。

写真:上の「丸に七曜紋」が下谷の家紋(望月氏と同じ)、もう一つ六文銭が使われている。
    二段目は九曜紋で祢津氏などの家紋
    下の写真は、下谷宗家の蔵にある家紋です。