農村の絆を深めた茅刈り

絆について
震災からもうすぐ2年。人と人や地域との絆について、すこし考えた。
画家松山治樹氏から戴いた古民家の画の、茅葺きの屋根を見ながら当時はどういう風に近隣の人が係ったのか釈然としないので、古老たちの記録を探したら、干俣地区の記録がありました。…昭和の初め、地区は殆どの民家が茅葺だったので、茅を刈る畑を集落で持っていて、30〜40haもありました。集落の民家の屋根の葺き替えは年に2軒が限度だったようですが、屋根約40坪で150〜200駄の茅が必要でした。1駄は6束で、1束は5尺周りが基準です。葺き替える家のために地域の各戸は2駄を届け、山に置く人は3駄を提供することになっていて、集落の全員のお助けによって屋根は作られたことがわかりました。茅は屋根材のほか、炭俵やキャベツ俵、冬用の垣根などにも使いましたから膨大な量を必要としていたため、地域ごとに取り決めがあって、この地区では毎年11月中旬の日を決めて区長が呼びかけ、朝7時から一背に刈取りが行われ、どの家も家族全員で作業をしたと記されています。牛馬1頭で6束(1駄)までしか運べなかったのでその日は大変でした。茅は自分たちの生活のため、そして地域の互助利用のために貴重な資源でしたが、それだけに人々の繋がりや地域の絆は今以上に強かったことを茅葺の家は語っています。
(写真は大前地区にあった茅葺きの民家)