南木山・浅間高原

チョウセンゴミシの生命力と効能に驚く!?

不思議な蔓木 チョウセンゴミシ 毎年、山野で見かけるチョウセンゴミシ(朝鮮五味子)を時々収穫して楽しんでいるけれど、同じ蔓木なのに毎年、収量が違う。それだけではなくまったく果実が付かないこともあるし、付いても成熟しない房もあって、結果的に私…

「愛の始まる樹」の丘

ヤドリギ実って婚活?・・・『愛の始まる丘』の樹、浅間牧場です。 澄みわたる青空だったから散歩コースを変えて浅間牧場にでかけると、高台には紅葉した浅間高原を楽しむ人が昨日はたくさんいました。丘の途中に残されているミズナラの巨木(昔、日本で最初…

浅間山は縄文人を潤したか。

日本最古の人骨が洞窟・岩陰から見つかった!古代史に係わる大きな発見や新たな解釈が出るたびに、自分たちの祖先はどこから来たのかという血が騒ぎ想像力も浪漫も駆り立てられる気分です。 つい最近、隣町(長野原町)の岩陰遺跡から8,300年前の縄文人の人…

慶祝!「浅間北麓ジオパーク」が正式に認定されました

はれ晴れした重陽の節句(9/9) ※今朝の浅間山です 今日は久しぶりに空も晴れわたった9月9日、重陽の節句の日でめでたい日。私が住んで居る小さな集落では今日明日が秋祭りの日です。 重陽の節句はあまり馴染みが無いんですが1/1、3/3、5/5、7/7に次ぐで…

生きるために農業で産業を起こした浅間北麓

キャベツ村始まりの辛苦の時代をたずねる 嬬恋村は今、キャベツ出荷の最盛期。キャベツの村として有名だ。そのキャベツ産地始まりの種は昭和8年にさかのぼる。粘り強く指導し希な貢献した3人の碑が村に建ち、往時の様子が刻まれています・・・過日、地元群馬…

浅間山のジオパークを目指す浅間山北麓一帯!

ジオパーク認定に向けて最終の現地審査を受ける 浅間山の火山活動によって形成された地形や地質・生態系と噴火災害を経験しながらもこの山岳高原地形や火山灰土壌と向き合い暮らしてきた浅間高原の文化・風土・産業を未来を担う子供たちや来訪者に伝えて行こ…

山寺にアジサイ咲いて

※しばらくあいだを空けてしまい恐縮です。この間にメモった記録をまとめてアップしようと思います。引き続きよろしくお願いいたします。(下谷) 山アジサイの咲く菩提寺・常林寺 天明の浅間山大噴火で流出した常林寺は災害も落ち着いたのち、以前の場所から…

アオダモ・ハクウンボク・ヤマボウシの世界

人々の生活に身近だったアオダモ・ハクウンボク・ヤマボウシ先月中旬から2週ほど間が開いてブログもご無沙汰してしまいましたが、わずかの間に野山の営みは著しく移り変わりました。印象に残った花のある樹木3本を取り上げてみます。 ①暮らしに寄りそったア…

天明の浅間山噴火災害から、農民を救った代官

利根川の上流と下流のつながり。銚子は天明で甦った!? 銚子ジオパーク関東大会に参加した折、ご一緒した宮崎先生の案内で「庄川杢左衛門頌徳碑」を訪ねた。 訪ねるとその碑には驚く事実が記されていて知りませんでした。 冬から春のキャベツ産地でもある銚…

浅間高原の水は高い??

嬬恋村の?日本一高い水道料金?? 先日、朝日新聞の編集委員が書いた「波聞風問」蘭の記事に異議あり。 昔、長野原町が民間に売った町有地が別荘地になって(たぶん三井と第一観光の別荘地一帯)、その一帯の水道料金が月10立方メートル使った金額が3,510円…

自然豊かな浅間山麓の晩秋

薪切り作業も終盤ですが・・・ 1日の朝はすごく気温が下がり、氷が張りました。凍結する11月になって、進めていた山の作業もようやく先が見えてきた感じです。1,300mの高い山の麓ですが風もないので気持ちのいい作業日でしたが、それも程々にしてすぐ横に流…

広がるジオパーク・ネットワーク活動

ジオパーク全国大会へ行きました。(10/26〜29) [今年は九州鹿児島の霧島市会場で第6回全国大会。どうやら、これまでのユネスコの支援から「世界遺産」と同じようにユネスコの正式プログラムになりそうだというので一段と活気が出た感じの大会です。 全国…

凍りつくような浅間高原

5/11 緑も深まった浅間高原は今朝、強い霜の洗礼を受けました。(5/11日撮影) ▼同じ場所も1カ月前はこんな感じでした。(写真は4月15日撮影)

浅間高原の「花まつり」と「大般若会」を見る

大般若経会と花まつり (5/8) 嬬恋村と長野原町の浅間高原一帯に古くから住民の拠りどころにされてきた曹洞宗常林寺の「大般若経会と花まつり」に行ってきました。このあたりは冬が長いので、ひと月遅れでお釈迦様の誕生日を祝う「花まつり」と併せて「大般…

自然の中で暮らす

田舎暮らしアドバイザーに最適!? 転入夫婦の新蕎麦を楽しむ! 都会から嬬恋の別荘地に永住して8年になるという団塊世代のFさん夫婦に招かれて今日9日は三家族で手摘み収穫した新そば昼食会。こだわり夫婦の育てた食材を囲んで蕎麦も格別の味に我家も大満…

馬庭念流は浅間高原の一角で育った・・・

剣術、馬庭念流(まにわねんりゅう)・・・その開眼の地 小宿川左岸にある常林寺から高台の応桑地区に至る坂道の途中に数件の小宿集落がある。その集落の道沿い高台にお堂があり、脇道に入るとまもなく「真庭念流ゆかりの地」という標柱が古ぼけて建っている…

地名も文化!

浅間高原にアイヌ語が残っているか? 浅間山麓に住む知人と話していたら、「地名の〈大カイシコ〉とか〈アテロ〉って変な地名だけど、どこの言葉?」と聞かれたので、私は咄嗟にアイヌ語から来ているらしいよ、と答えたがいい加減な返答だったから少し調べ直…

浅間山、北面の前橋刑務所の碑

地名「群馬坂」、伐採作業服役者の辛苦の地!? 浅間山の麓に人気のシャクナゲ園がありますが、そのすぐ隣の沢沿いに前橋刑務所が建てた碑が笹薮に埋もれて訪れる人もなく立っている。 明治の初め頃までここを含めて広大な土地は南木山と呼ばれる国の直轄地…

230年ぶりの仏像の所在

浅間山大噴火の被災地を走り回った僧侶が残した8体の仏像 被災された地域のために自分達には何ができるのかと思うと心が騒ぐ。 天明3年の浅間山大噴火の悲惨な様子、そしてそこからの奇跡的な復興にはたくさんの支援や力添えがあって成し遂げられている。 こ…

世界遺産、信仰の富士山、 生活文化の中の浅間山

ジオパーク、地球の中を覗くための浅間山を学ぶ(6/24)鬼押出し園の中を歩き、岩塊を見て風景を堪能するだけでは地球の中身は見えてこない。溶岩を通して浅間山が教える地球の中身と性格は学ぶことによって見えてくる、と言う訳で今日は、東大名誉教授で火山…

北白川宮は奥羽越列藩同盟のトップにもなっていた!

地域の教材は活かされている? 北白川家からの賜物 日曜日の大河ドラマ「八重の桜」を見ている人は年配者に多いのかもしれませんが、先日のドラマに奥羽越列藩同盟が出てきました。この奥羽越列藩同盟の首長に奉られたのが、浅間高原にも深い係わりのあった…

北白川宮の「吾妻農林牧場碑」

「吾妻農林牧場碑」がきれいになった! 5月18日。――130年前のこの日、吾妻農林牧場が北白川能久親王(1848−1895)によって浅間高原の一角に開場しました。西南戦争のあと、政府の富国強兵、馬匹改良政策を受けて親王が作った我が国初の大規模西欧式近代牧場で…

嬬恋学? サロン楽習会で地域を知る集い

地域を知る、お茶のみサロン楽習会(5/15) 嬬恋村の浅間高原エリアに居住する人は500人とも600人とも言われていますが、特別な行政区らしきものもないので当然、互いに知らない方が多い地区です。この春、高原の一角で貸別荘「ルネス軽井沢」を営んでいる…

自然の中の山荘

別荘地、それぞれの滞在 嬬恋村の別荘建物は今、9,000軒近い棟数になるといわれる。 毎月、都心から嬬恋版画教室にやってくるEさんは、浅間山にごく近いスズラン台に山荘を持っている。趣味の鉄道の話をするとき、いつも嬉しそうだ。作品だってほとんどSL。…

浅間鬼押出し園の寛永寺文化財

鬼押出し園に何故? 上野寛永寺別当院設置の因果! 観光地として鬼押出し園に入ると、噴煙の浅間山を見て安全祈願するのに観音堂はありがたいと思う。でもこの観音堂が上野寛永寺の別当院だと聞くと、いささか不思議な気がする。何故って、上野東叡山寛永寺…

鬼押出し園の燈籠はすごい?

鬼押しの厄除けのため?上野から何故、霊廟燈籠が来たのか。 地元にいると、めったに行かない鬼押出し園。1951年に正式に開園した鬼押出し園は、創設した近江商人の堤康次郎氏の様々な仕掛けが残っている。惣門ではない方から進むと、高さ2m50㎝くらいあ…

浅間高原とは〈南木山〉と言われるのは何故?

歴史ある南木山から浅間高原へ!? 今年もあと1日。この間、いつも長い文にお付き合いをして頂いた皆さん、ありがとうございました。感謝をこめて?また長い一話。 これまでに、折に触れて浅間高原だの南木山(なぎさん)だのって記してきたんですが、浅間山の…

「おとなは、だれも、はじめは子どもだった…」(星の王子さま)より

この13日〜14日の未明にかけて、ふたご座流星群がありましたが、見られましたか?私は早朝に5つばかりをしっかりと。星を見て思い出しました「星の王子さま」を、ではなくて、それを初めて翻訳した内藤濯(あろう)さんの王子、第一子を。 たしかH11年の今頃で…

浅間高原・南木山の払下げは先人の願い!

12月10日は南木山・浅間高原の開放記念日!? 嬬恋村の鳥井峠〜北軽井沢の二度上峠にかけての山麓一帯は、今は浅間高原と呼ばれ、高冷地農業と自然豊かな観光地です。ここはつい最近まで「南木山(なぎさん)」と呼ばれていました。明治後半に払下げられるまで…

浅間高原産馬に乗る北白川宮木像

浅間高原産馬に乗る北白川宮銅像のもとになった木像を訪ねて 千代田区にある銅像・北白川宮親王像のもとになった木像が残されていると聞いて見に行きました、資料館でもないところに本当に110余年も過ぎたものがしっかり残っているのか不安でしたが。雪の金…