松明、ヒデの明かり、ナタネ油の明かり

アカマツ、ヒデの明かり 
赤松の薪割りをすると、枯れた枝の付け根部分にたくさんの松の油が付いてかたまっている。この辺りではこれを「ヒデ」(関東人はシデと発音した)と呼び、昭和の初めごろまで利用があっと言うが、自分たちも小さい時に遊び道具にした。大正時代に電気が入るまではローソクの代用もしたと言うくらいだから明るく燃えるようだ。

そこで、早速、ヒデを実際に取り出して燃やしてみる。まだ半乾き状態だが、それでもオーロラのような炎をあげてゆらゆらと良く燃える。油分が強いから黒煙も生じて松ヤニの匂いがした。 戦時中、「松根油」なるもののために、この辺りでもヒデを中心に集めたと言われるが、あまり役立ったと言う話は聞かない。
話しは変わるが、昔、日本に蜜蝋のローソクが入り、その後、漆から作った和ローソクとなり、さらに江戸時代にはナタネ油も明り採りに使われた。もちろん、ヒデも灯火具に乗せて身近な明かりとして使われたが、人気のナタネ油は長野県飯山地方のものが有名で、嬬恋の鳥居峠(大笹街道)を通って江戸に運ばれていた。そのために鳥居峠は油峠、油街道とまで呼ばれるまでになった。いわば、あかり街道として嬬恋は宿場も栄えた時代があった。