農民に圧倒的な支持を受けた、農業技術者がいた!

高原野菜の技術を広めた熱意の人…塚田國一郎さん
農民にどれほどの感謝を受けたのか、村に大きな碑が残されているのに、今は語られることも無い塚田國一郎氏の地域への思い。塚田氏を伝えるエピソードについてきょうは私からでなく、ひとりの方の口述から紹介してみたい。
――昭和7年農会の駐在技術員として嬬恋村に赴任した塚田さんは、種馬鈴薯と高原野菜の白菜と甘藍、キャベツです、を導入するべく村の方々を説得し、生産にかかりました。
昭和8年の年の瀬、山間僻地、地の利も悪くてなかなか売れない種芋(馬鈴薯)3万俵を馬の荷にして鳥井峠を下り、鳥井峠も昭和8年にできたという大変な時代なんですが、信州上田に出て中山道を通り東京の市場に持って行きました。糖度の高さは北海道以上との評価を受け、すべてを売ることに成功しました。暮晦日夕刻、鳥井峠まで帰ってくると、数人の村人が迎えました。売れたのかが心配だったのでしょう。それぞれ提灯を掲げていたそうです。売れたという吉報はいちはやく村人に伝えられ、地域の人たちのかざす提灯は田代の部落に着くまで行列のように繋がったそうです。後年ご本人から伺った話であります。地域の人々の喜びが伝わってきます。はじめて現金を手にしたという方もおられたとのことです。村人の感謝と尊敬の中で、塚田さんに対する信頼の絆も深まり、白菜とキャベツの栽培にも真剣に取り組むようになりました。…「高原の風よ、この人の功をささやけ」、塚田さんの顕彰碑の中にある言葉ですけれども、村人の思いと言うのが伝わってくる言葉であります。(以下略)――
この口述は、東吾妻町に在住する群馬県会議員の南波和憲氏が昨年の10月の県の決算特別委員会での総括質問で農政問題について発言した一部である。私は議員と面識もなく特別なかかわりもないが、知識や数字を網羅すること無く歴史やエピソードをもって将来をただす懐の深い質問に、にわかに感心しながら引用させていただいた。
塚田國一郎氏は退職後、一層の研さんに励み、本格的なワイン醸造に着手している。中之条町の国道沿いにあるミヤマワイン(塚田農園)だが、それと知って訪れる人も今は少ない。 (写真は大前にある碑と中之条にある塚田農園直売所)