ふたたび、雪山讃歌について

雪山讃歌』、ダークダックスの喜早 哲さんとの運命的な縁

3月末に亡くなったと報じられたコーラスグループ・ダークダックスのメンバー喜早 哲さん(享年85歳)。『雪山讃歌』との出会が彼の人生を変えた。  
雪山讃歌は1926年(昭和元年)、雪に閉ざされた嬬恋の鹿沢・湯の丸高原の一軒宿、紅葉館で京大の山岳部員らによってひっそり生まれ、作詞者不明のまま34年間、わずかな人によって歌い継がれていました。
慶應大学の学生だった喜早 哲さんは志賀高原にスキーに訪れたとき、バスガイドが口ずさんだ「いとしのクレメンタイン」の雪山の歌に吃驚したという。やがて「ダークダックス」を結成した喜早さんはS59年に歌詞を懸命に探してレコードに吹き込むと評判を呼び、NHK紅白歌合戦」に出場してから国民的な歌に押し上げました。

アメリカ民謡「いとしのクレメンタイン」の不思議な運命はそれだけではなく、米軍によってもたらされると韓国でも歌われ、韓国では漁師の歌となって広まっていき、2008年には韓流ドラマ「春のワルツ」にも流れて韓国の歌となったのです。本国アメリカでも映画「荒野の決闘」のシーンで印象的に流れました。 アメリカ・日本・韓国の心を繋ぐ抒情歌は、喜早 哲さんがダークダックスで歌うことによって、私たちの知らない所で3国の交流歌となって広がっていました。 歌詩ができた嬬恋村では、屋外放送からは今も「雪山讃歌」が風に乗って山野に届いているのです。
(泉下の客となった喜早 哲氏のご冥福をお祈りいたします。)

 ※雪山讃歌の碑の写真は休暇村・鹿沢高原のHPよりお借りしました。
  下の写真は湯の丸山です。