田代村の始まり

唐辛子、赤く実って田代村できた!?
これは、古くから伝えられた田代集落のお話。
関東北西部にあって関東と信越分水嶺にある嬬恋村。国道144号を吾妻川沿いに上がると鳥居峠の峰に至る。もう風花が舞うシーズンになった。田代村地区はこの手前の原野を切り開いてできた標高1,000mを超す高冷地集落でもある。
万治2年(1659年)、大笹村の開墾地として数件の開拓者がいるところでした。隣接する信州祢津の殿様が勢力を伸ばすために、家来の兄弟二人を田代に差し向けたのです。そして生活できるかどうかを調べるため、唐辛子を植えさせました。秋に唐辛子が赤く実るようならば、不毛の地ではない、作物を作って定住できると言われていたのでした。そしてその秋、遅くなって唐辛子は見事に赤い実を付け、定住が決まったのだと伝わっています。
初めに定住したのは、武士に追われて松本から祢津へ移った権太夫と籐兵衛という二人兄弟でした。二人は田代のどんどん滝(轟の滝)近くに定住し、やがて集落が作られていきました。今も籐兵衛の墓はどんどん滝の近くにあると言う。
今年も霜降の前に、田代では唐辛子の赤い実の収穫時期を迎えている。