230年ぶりの仏像の所在

浅間山大噴火の被災地を走り回った僧侶が残した8体の仏像
被災された地域のために自分達には何ができるのかと思うと心が騒ぐ。
天明3年の浅間山大噴火の悲惨な様子、そしてそこからの奇跡的な復興にはたくさんの支援や力添えがあって成し遂げられている。
この嬬恋は言うに及ばず、吾妻郡、群馬郡碓井郡の三郡も甚大な被害にあった。その惨状を見て被災地を走り回って供養した高僧がいた。東吾妻町の顕徳寺の宥弁和尚さんだ。噴火の2年後には各地域の人々の心の拠り処とするために8体の銅製の仏像を安置した。仏像は人々の願いや祈りを星の数ほど聴いたに違いないが、やがて移りゆく時代の中で流転し存在すら忘れ去られてしまった。天明の大噴火から230年。あるきっかけがもとで観音堂の代表者たちがその行方を探す機会ができた。驚くことに各地で大切に保管されているのを知り感動し、不思議な力を感じたと言う。その記録が一冊の本「祈り」としてまとまり、鎌原観音堂で販売されることになった。 (この件は以前にも記載し、重複します)
仏像を製作した彫師多川主膳の作品は千葉の鎌ヶ谷大仏として今も駅前で人々を見届けている。(下の写真は鎌原観音堂の身護だんごかざり行事)