湧水のある神社

願いが叶う干俣地区にある神社
久しぶりに干俣神社にある湧水を汲みに行ったから、境内を散策してきた。
平坦で広い土地には樹木がストレス無く育ち、林の縁を水草の生える清らかな音無川が結界を作るように流れていて、質の高い空間ができている。
干俣諏訪神社と称されているが、明治末に統合されるまであったのは雨降(神)社と二つの大山衹(神)社、でもそれだけではこの神社の歴史は見えづらい。
干俣神社は別名「毬宮」(まりのみや)と言われている。その昔、源頼朝浅間山麓で狩りをした時にここに泊まり、蹴鞠をしたからそう呼ばれてきたと。そして宿泊した夜、流れる川の音が耳障りだから、静まれ!と言ったら音がしなくなったから音無川と呼ばれたと伝え残される。
天保7年(1836年)の大凶作、飢饉にあえいだ地区は多くの離村者を出した。100軒あった家は61軒に減った。(郷土史家・田村さん資料)集団で村を離れて行った先は、毛無峠を越えた長野県高山村だった。この村には今も干川や黒岩姓が多く、先祖は干俣から来たと話している。その先祖が最初に居住した場所は「鞠子」と言う地名で残っている。
干俣の神社は、時代の艱難辛苦の中で、分村、離村以外には生きる道が無かった人たちのふるさととして崇められてきた神社でもあった。