自然を観て暮らす

観天望気…煙で天気を読む!?
今、天候は天気予報で知ることができるので、自分で察知することもあまりないから、人間の予知能力は退化しているのかもしれない。山村の高原で暮らすには、その察知能力を取り戻すことも大切なのだと思う。少なくても自然と向き合って暮らすにはね。
例えばくっきり浅間山が見えたりする時、昔の人が「浅間山がきれいに見えると次の日は晴れる」と言った知恵を借りると明日のことが大体察知できたりする。また浅間山が見える群馬の平坦地では「浅間山から赤城山へ煙がたなびく時に鎌で稲を刈るべし」天気が続くから、などと言われてきた。  嬬恋村で暮らすのに良く当たって便利なのが浅間山の煙で、気を察する習いを幾つかあげてみる。
煙が東にたなびく→天気良く晴天が続く。
煙が北になびけば→近日中に雨あり。
煙が北になびいて山肌を這う→雨若しくは悪変する。
煙が黒斑山にかかれば→雨。煙が直立すると→夏の時は夕立あり。
煙が西になびいていると→百日のひでり。
という具合だ。これは地元の年配者が伝えてきた知恵。煙だけではなく、カマキリが高いところに卵を産み付けたら、その冬は良く雪が降る、なんてのもある。それが当たっているか否か自分で検証していくと察知力が戻る!のかもしれない。
自然の中で暮らすとき、古人は天変地異を身近な自然の様子から察知し予知し、伝えてきた。自然は、知識として〈自然を学ぶ〉のではなく自然と向き合って観察し〈自然から学ぶ〉ことが暮らしを豊かにするようだ。
(浅間山上空写真は東大地震研究所Y研究員撮影の写真を借用した)