生きるために農業で産業を起こした浅間北麓
キャベツ村始まりの辛苦の時代をたずねる
嬬恋村は今、キャベツ出荷の最盛期。キャベツの村として有名だ。そのキャベツ産地始まりの種は昭和8年にさかのぼる。粘り強く指導し希な貢献した3人の碑が村に建ち、往時の様子が刻まれています・・・過日、地元群馬のTV局取材に同行し碑をたずねました。碑を巡ると忘れてはならない苦難の様子が浮かびます。
昭和の初め、雑穀作りと炭焼きが中心の嬬恋村は不況に沈み「文化に遠ざかり産業も振るわず、ようやくその日を送る火山灰土の村であった」。そして「最早、万に一つの奇跡を信ずるほかなかった村」として村民は「塗炭の苦しみにあえいでいた」のです。碑には県下でもっとも貧しい村の姿が語り継がれるべき言葉として刻まれていました。
米に頼らず、野菜で農業産業を起こすという奇跡は商人青木彦次郎氏、農業技術員塚田国一郎氏、命を懸けた村長戸部彪平氏の連携で始まり結実したのです。以来、高原野菜産地への扉が開き、今日の高冷地輸送園芸地帯道の確立に到ったのですが幾度も試練に遭いました。戦後の農地解放や引揚者対策で緊急の開拓事業も転機でした。中原地区の開拓は長野県の神川村(現上田市)の分村計画によって入植し開墾されていますが、浅間北麓の戦後最大の開拓もまた苦難の連続でした。米以外は連作できないと言われる中、キャベツの産地嬬恋は大変な苦労を乗り越えて今日の産地になったのです。同行したTV取材は開拓農家に入植当時のお話を取り上げ、放送は1月1日の予定と伺いました。
浅間山のジオパークを目指す浅間山北麓一帯!
ジオパーク認定に向けて最終の現地審査を受ける
浅間山の火山活動によって形成された地形や地質・生態系と噴火災害を経験しながらもこの山岳高原地形や火山灰土壌と向き合い暮らしてきた浅間高原の文化・風土・産業を未来を担う子供たちや来訪者に伝えて行こうと始まったジオパーク活動。活動4年目を迎えてこの春に「日本ジオパーク」加盟申請までになった。そして5月には幕張で申請に伴うプレゼンテーションを推進委員の皆さんが中心になって実施。これをうけて今回、日本ジオ学会の現地審査でした。
私もボラで推進委員に入っていましたので、今回の現地審査の様子について、信濃毎日新聞に掲載された記事を取り上げて紹介します。
※写真上2枚は審査の様子。3枚目は審査員との意見交換会の開場写真です。
(ジオ推進事務局よりお借りしました)
浅間山北麓 ジオパーク委、群馬側評価 (信濃毎日新聞8/23)
浅間山(長野・群馬県境、2568メートル)北麓の群馬県長野原町、嬬恋村の関係者らが、貴重な地質や地形を教育や地域の発展に生かす「ジオパーク」の認定を目指す構想で、日本ジオパーク委員会(東京)の審査員3人は22日までの2日間、現地を調査した。審査員は調査後、観光や防災、教育面で幅広い連携態勢ができていると評価した。
ジオパークは同委員会が認定し、現在全国に39地域ある。浅間山の群馬県側では、両町村の関係者が2015年、観光活性化などにつながるとして、浅間山ジオパーク構想推進協議会を設立。今年4月に「浅間山北麓ジオパーク」の加盟を同委に申請した。
審査員は火山や土壌の専門家らで、1783(天明3)年の浅間山大噴火の土石なだれで石段が埋まった鎌原(かんばら)観音堂(嬬恋村)や浅間牧場(長野原町)などのジオサイト(ジオパークの見どころ)を、21日から訪ねた。
22日は、この大噴火の火砕流で荒れ地になった「六里ケ原の火山荒原」(嬬恋村)を眺められる休憩所で、協議会が養成した住民ガイドの説明を聞いた。ガイドは「30年前は樹木がほぼなかったが、増えてきた」などと現状を伝えた。「鬼押出(おにおしだ)し溶岩」(同)が見られる民間施設も訪ねた。
調査後、協議会関係者が同村内の集会施設に集まり、審査員が講評。中田節也・東京大教授(火山学)は「熱心なガイドがおり、専門家のバックアップもある」と評価、「火山防災について、防災マップを掲示するなど観光客にどう伝えるかもよく考えて」と課題も指摘した。審査員がまとめる調査報告書を材料に、9月上旬、同委員会が結論を出す。
構想を巡っては、長野県側の小諸市、東御市、北佐久郡軽井沢町、御代田町の4市町は「まだ方向性が出ていない」(小諸市商工観光課)などとして同協議会にオブザーバーとして参加するにとどまる。この日、嬬恋村の熊川栄村長は「できるならば長野県サイドの皆さんとの連携を進めたい」と話した。
以上、信濃毎日新聞記事より。
写真は23日朝のキャベツ畑と浅間山です。
夏、後半の花
お盆をすぎて花も入れ替わりです。
先日、嬬恋の山野で出会ったナデシコノの花。秋の七草に詠われていることもあって、やはり秋が身近になります。この季節、嬬恋では秋の七草がそろって見ることができるので山上憶良の歌を開いて野山を歩くのもささやかな楽しみです。
2枚目はフシグロセンノウ(節黒仙翁)野山にはあまりない朱赤色、木陰に咲くので目に止まります。
3枚目はシシウド(猪独活) 単色ですがシンメトリックな感じが夏の花火のようでとてもいいですね。
4枚目はツノハシバミ(角榛)の実です。今年は実がたくさん付きました。日本のヘーゼルナッツとも言われ、食べると美味しんですがリスや熊も大好物なので先着順です(笑)ただし手で触るとガラス質のトゲが刺さりますからご注意。
夏休みのキノコ採り
チチタケとチダケサシ
先日、近くの山の明るい林で採ったチチタケ。採ってみると子どもの頃を思い出して少し懐かしいキノコです。また同じ時期に草地に咲くチダケサシの白い花は入道雲みたいだと思ったりもしましたが、チチタケとチダケサシは縁があって仲が良いのだと後で知りました。
チチタケ(乳茸)は採ると名前のとおり乳液が出て採集した手が黒くなるからすぐ、串刺しにしながら持ち帰りました。その串刺しにする幹に使うのがチダケサシ。漢字で書くと一目瞭然。乳茸刺(チダケサシ)の所以だったんですね。幼少のころ私は笹の枝に刺した気がしますが茄子などと炒めて食べたり、天ぷらにしたりして食べてたので夏の田舎の定番料理のように思い込んでいます。
山の日に真田丸の山、四阿山へ行きませんか。
11日は今年から始まった「山の日」ですね、嬬恋でも山に親しむ企画「四阿山トレッキング」がありますからお奨めです。四阿山は関東と日本海側との分水嶺に聳える独立峰ですが、古くから信仰の山として親しまれました。登拝道となった鳥井峠からの道は往時を偲ばせる山岳古道として今も人気です。かつては峠から山頂まで6kmほどありましたが、最近は村が整備したので山腹に駐車場が出来て半分の約3kmで登れる山になりました。今年発行された山地図の定番、晶文社の山と高原地図シリーズ改訂版17「志賀高原」にも便利になったルートが案内されて、訪れる人も増えているようです。
信仰の歴史は古くて、陰陽道が盛んな時代あたりから、南面に位置したルートは四神相応の立地から信仰を集め、熊野信仰の山はやがて修験道として修験者が修養する山になります。さらに戦国時代あたりから白山信仰が入り、真田一族の守護神の山となったのです。特に四阿山は真田氏にとって鬼門の山でしたから篤い信仰をを集めました。そして上州侵攻の拠りどころでもあったのです。
ルート上にある伝説の奇岩「的岩」や天空の湧水と言われる「嬬恋清水」を楽しみながら、登だけではわからない信仰の山を学ぶトレッキングです。解説を不肖私が担当しますのでご一緒にいかがですか。今回はJR吾妻線の万座・鹿沢口駅からバスで送迎しますので詳しくは観光商工課(TEL0279・96・1515)までどうぞ。
写真:上、ルート上には花畑があり花の最盛期です。
2番目は山頂直下にある奇跡の湧水で、関東最高地の冷水です。
3番目は晶文社の山地図に載っているルートです。参考に。