高原野菜を支える開拓民

異国の地の敗戦、開拓民の「望郷の鐘」

先の戦争から来年で70年目になる。最近、機会があって軽井沢町の公民館で地方初上映された満州引揚者を扱った映画「望郷の鐘」を観た。
満州へ開拓民として渡った僧侶兼教師一家が長野県の寒村から行った一団とともに敗戦まぎわに、必死で日本に戻ろうとする凄惨な記録に基づく映画。当時、満州には日本から24万人ほどの開拓民がいたが、関東軍は自分たち軍属を先に引き揚げ追撃を逃れるために橋なども破壊して退去していたから、異国での敗戦から農民は集団を組みながら懸命に敗走したけれど辛酸この上なく、あまりにも大きな犠牲と無常に言葉を失い、阿鼻叫喚に落涙する。
以前に嬬恋の中原開拓の農家に取材をしたことがある。満州から引き揚げたが、戻った神川村(現上田市)には受け入れる土地も無く、再び開拓民として嬬恋村の原野に移って、生涯を開拓に終始した正橋さん夫婦を何度も訪ねたが、主人が亡くなるまで年末に毎年我が家に訪れたから見ておきたい映画だった。


嬬恋村の農業を支えたのはこうした開拓民によるところも大きかった。また隣接の長野原町北軽井沢地区にも満州からの引揚者が入った。戦争の終る1年あまり前に群馬県甘楽郡23ヶ町村から青年140名ほどが渡り、苦難の末21年6月に帰還し入植している。日米の戦闘記録が強く残る先の戦争の陰で満州国に残された農民の終戦の記憶は、この高原に残された碑とともに語り継ぎたい話でもある。平和は与えられて続くのではなく、努力して維持するものだと思う。


写真:上は中原開拓地の公民館横にある開拓碑
   下は北軽井沢地区にある満州引揚者の開拓碑