北白川宮の「吾妻農林牧場碑」

「吾妻農林牧場碑」がきれいになった!

5月18日。――130年前のこの日、吾妻農林牧場が北白川能久親王(1848−1895)によって浅間高原の一角に開場しました。西南戦争のあと、政府の富国強兵、馬匹改良政策を受けて親王が作った我が国初の大規模西欧式近代牧場です。しかし地元では広大な浅間高原(当時は南木山です)が、政府の地租改正政策によって、立ち入り利用することが全面禁止となって、当時の六カ村民は大打撃となったのですが、宮様による牧場開設によって払下げを求める関係農民359名に大きな希望を与えました。苦心惨憺たる経緯を経て13,600余haの土地がようやく払い戻されたのがM35年のことでした。それでも県下で一番早い払下げだったのです。途中から長野原町嬬恋村が発足しましたが、関係者の苦労と感謝を標した碑などが残されています。北軽にある牧の宮神社の祭神は北白川宮です。牧場の中心地で係わりの深かった旧狩宿本陣の「黒源」さんによる吾妻牧場碑は長い間、林にうもれていましたが、春の前の整備によって、国道横からすぐ見られるようになっていました。題字は元総理大臣福田赳夫氏によるものです。裏側の由緒書がおすすめです。