天明の浅間山噴火災害から、農民を救った代官

利根川の上流と下流のつながり。銚子は天明で甦った!?



銚子ジオパーク関東大会に参加した折、ご一緒した宮崎先生の案内で「庄川杢左衛門頌徳碑」を訪ねた。
訪ねるとその碑には驚く事実が記されていて知りませんでした。
冬から春のキャベツ産地でもある銚子からみると北西高地にある嬬恋とは利根川で繋がっていてともにキャベツ産地。天明浅間山の大噴火によって銚子でも1寸(3.03㎝)もの灰が降り農作物被害で餓死状態に見舞われたのですが、その3年後には長雨が続き冷害の打撃を受け、農民は塗炭の苦しみに疲弊尽きていた時、この地を支配していた代官庄川杢左衛門(しょうかわもくざえもん)は天明の飢饉で苦しむ農民に藩の貯蔵米を数千俵もの米を配り数千両も支給したという・・・銚子では餓死者が出なかったという。だが代官は城主に相談することもなかったから後に藩主に呼ばれ自害に及んだ、と言うのです。 代官が支配していた銚子一帯は150年間にわたって群馬の高崎藩の藩領でした。事件後それでも銚子の民は恩を忘れず碑を建立し供養が今も続けているだけではなく鳴物『じょうかんよ節』が今も奏でられているのでした。さらに、昨年は市民によるミュージカルも上演したという。
まるであの杉原地畝のような人物が天明の銚子を救ったという話に目頭が熱くなったのでした。現地で案内して頂いた地元の郷土芸能保存会の高橋和衛さんにお世話になりました、感謝。

 ※写真いちばん上が「庄川杢左衛門頌徳碑」で、きれいに管理されていました。
 ※写真3枚目が説明してくれた高橋さんです。