草軽電気鉄道「吾妻駅」と馬


廃線駅名「吾妻」は、農村に馬をもたらした!
草軽鉄道は廃線して50年が過ぎましたが、その廃線跡を訪ねる企画やイベントも多く、近代化遺産に寄せる関心が続いています。トンネルを作らずに地形に沿った路線と、国境平や二度上、栗平などローカルな地名駅に旅情感も溢れる感じですよね。北軽井沢を出ると吾妻、小代、嬬恋、上州三原の駅になるんですが、なぜか「吾妻駅」だけが異種な気がしますね。・・・それは、ここにあった牧場の名前があまりにも有名で注目されていたからでした。―― M14年、広大な南木山(浅間高原)は人を入れない国の直轄地でしたが、国から初めて土地520haを借りて牧場を作ったのが北白川の宮親王です。欧米列強国との軍馬の歴然とした資質差を超えるための国策に沿った我が国最初の西欧式近代牧場が開設されたのです。事務所はこの駅の近くの落葉松林の中に建っていました。改良のために、御料牧場から雌馬が払下げられてきたのを皮切りに、北海道・岩崎家より三菱号が入り、秋山好古がいたフランスからも輸入、福島の三春から雌馬を購入し、宮内省からはアメリカ馬の払下げを受け「吾妻野号」が誕生。小松宮からもアメリカ馬が入るなどしてたちまち近代馬の一大産地になりました。それと同時に地元の農家にも優良馬がわたり、仔馬を育てて販売し貴重な現金収入になったのです。嬬恋村は一大馬産地として広まり、「バクロウ」と呼ばれるバイヤーが全国から集まり、公設の競り市場は盛大だったと言われます。その競り市場の跡地に建てられたのが今の嬬恋村役場です。(現地に説明版はありませんが)そして南木山のいわば開祖でもある「吾妻」の名は、M22年の町村合併の時、地元は由緒ある「吾妻村」を名乗り出たのですが、競合町村があって使えず、牧場名のもとにされたと言われる日本書紀の中から有名な日本武尊に因んで「嬬恋村」が生まれたのでした。
北白川宮の愛馬、薙野号もこの牧場産ですがまた次回に。写真は春先の撮影、大桑郵便局近くです)