群馬歴史博物館リニューアル、東国文化の情報中心地に。

『甲(よろい)を着た古墳人の人物像』の講演を聞いた。



榛名山の大噴火によって埋没したという渋川金井東裏遺跡は日本中の古代史ファンを熱くしていますが、私も興味津々。夏にリニューアルオープンとなった群馬県立歴史博物館の記念講演『甲を着た古墳人の人物像』をワクワクして拝聴し、展示も見てきました。講師は古墳研究の第一人者でここの博物館の右島和夫館長さん。渋川の発掘にも深く係わった人ですから現場の様子を交えて熱く2時間余りのお話に頷くことばかりでした。

甲を着けたまま見つかった熟年男性のマスクは渡来系の特徴があり、歯の測定から長野県伊那谷に移り住んだ渡来系の出身と思われる一方、妻と思われる女性の方は縄文系のマスクの特徴を有し、歯の測定から渋川出身者では無いという、つまり男女とも群馬ではなかったけれど、子どもの歯を調べると榛名の育ちだったことがストロンチューム測定法によって判明したのだと説明。これはとても興味深いお話でした。さらに見つかった馬の歯からは父の代に渋川に移ったのではないかとも推察。古代の東国群馬は機織り機や瓦の製造など高い技術を持ったテクノクラートともいえる都市でしたが、その中心は渡来系の技術集団がいたと云われる話を裏付けるほどの遺跡と思わせるものです。朝鮮半島(当時の高句麗系か)との繋がりを示すものは他にも多数ある話でしたが、東国文化をリードした渡来系技術屋集団の暮らしの様子が見えるようでした。西の奈良に並んで比定される東の群馬の遺跡は日本書紀にある東国文化のイメージを変える要素がいっぱいでした。
リニューアルした歴史博物館では群馬の古墳時代と渋川金井東裏遺跡の展示をしていますのでお勧めです。