田代地区を歩く(その2)…田代発祥の地「轟の滝」


田代地区を歩く(その2)…田代発祥の地「轟の滝」
国道を信号から集落地内に入ると田代湖入口のところに鮮やかな朱色の鳥井を持つ大山祇社が大きな岩のところにあり、そのすぐ横下を次郎兵衛川が道路を横断している。川は集落の西側を流れ下っていますが、今回はこの川にある滝「轟の滝」を訪ねた。地区の中央にある田代神社より200m位手前を右に細い道を入るとその滝があります。この道がかつて大笹や干俣地区に繋がるメイン道路だったので、旅人は滝の音を聞くと安堵したのでしょう。この滝に因んで田代は昔「轟新田」と呼ばれていましたが、まだ大笹村(当時は大篠村)の管轄でした。この近くにある湧水の所から人家は広がったと言われています。独立したのは文政8年(1825年)のことでしたが田代と改名されたのはそれ以前らしく、寛永〜正徳の時といいますから、ちょうど渋川晴海(天地明察の本と映画の主人)がいた時代です。地元の人に聞いてもはっきりしないのは昭和13年に大火災で地域の大半が焼失したのも要因です。火災は74年前の今日、11月29日でした。これ以降、地域は秋葉神社に強く依存してきたとも言われるのです。