日本で最初のロケットがここで・・・

  
  浅間牧場・天丸山、命を懸けた技術者たちの舞台
浅間牧場入口から歩いて約45分。牧場の一番高いところにある芝生の天丸山(1,343m)に行きました。小高い丘のようなところでハイキングコースです。頂上からは気持ちの良い360度の眺望になっています。真正面に浅間山そして小浅間山を望む丘に立つと、私はやっぱり、思い出します。 
この丘で、一人の青年技術者が68年前、僅かな仲間と一緒に時間を惜しむように開発したロケットをテストの末ここから浅間山に向け、無線コントロールして目標の山の中腹地点に正確に当てたのがS20年の春でした。高松宮殿下の立会いの下の試射が歓喜に包まれのは、これでB29を無人で迎撃する見通しがついたからでした。「奮竜」という名のロケットはすぐに液体燃料ロケットに改良され、試射即量産の命令を受けて青年 吉田隆海軍技術少佐は血のにじむ思いで開発し、ついに完成試射を8月16日に技術者全員を集めて行うことになったのです。でも、皮肉にも日本は15日に終戦になったのです。間に合いませんでした。
世界に先駆けて開発した「無人誘導ロケット奮竜?型」は、浅間山を永遠の墓地と定め、この丘のふもとにで処分となったのです。若い吉田少佐は後の記述に「誰に命じられたのでなく極わずかな仲間でひとつひとつ血のにじむ思いで努力した結晶をようやく手に入れ、一生懸命作ったものを爆破できなくて、8月19日に安置して埋めました。」と記しています。
S29年、工事で資材が出てきて新聞に小さく掲載されました。戦後、浅間高原は米軍の演習場に指定されましたが、奇跡的にここは牧場として残ったのです。
天丸山は、戦時下とはいえ、若き技術者の賢明な努力と無念さが偲ばれるようなマツムシソウなどの花がいっぱい咲いていました。若き技術者の「青春の墓標」なのかもしれません。