山河星霜 10月になりました.

久しぶりに陽ざしの下を天丸山まで。







旧暦の重陽節句が今日の2日にあたるとか。雨ばかりだったのでありがたさも半々ですね。昨日は久しぶりに浅間牧場のハイキングコースを歩いて天丸山(1,345m)まで行ってきました。ほぼフラットなのでお気に入りのコースです。
紅葉も急に季節を走り出した感じで、木々の実がとてもキレイでした。
ホウノキの花の形見は鮮やかな色をして葉のグリーンとベストマッチ。一本だけあったウメモドキは赤い実がビッシリ。植栽したと思われるヤマボウシにはたわわに実った果実がいっぱい。コナシの実も大豊作でしたし、ゴミシの実も真赤々(写真ありません)。天丸山の頂上にはナナカマドの実も鮮やかに色付いて迎えてくれました。すっかり秋、10月なんですね。
天丸山でベンチに座り正面の小浅間山を眺めながら・・・ここで70年ほど前に若い技術者たちがタイムリミットに間に合わせたい一心で不眠不休の開発をした物語を思い出しました。

日本で最初のロケット、ここに眠る。

この天丸山から見渡す浅間山麓一帯は戦後まもなく進駐軍よりアメリカ軍の演習場に指定されたことがありました。軽井沢町などでは大反対運動が起り、争議のすえに米軍から取り戻した高原でもありましたが、今は長閑な牧場の光景です。
ところがこの争議の年、いま私が座っている足元から、戦時中の弾道弾のような大きな遺物が見つかり、たちまち町関係者は危害を恐れて埋設関係者を探してみると、元海軍技術研究所が極秘で開発・発射の試験地であることが解ったのでした。
その会見記事によると・・・埋もれていたのは、世界で唯一の無線誘導ロケットだったという事でした。にわかに信じがたい話に当時のマスコミの反応も冷たかったようですが、のちにその全容も明らかになり、数々の独自技術で開発された日本で最初の誘導液体ロケットであり、この浅間高原の一角で完成していた、つまり日本のロケット発祥の地がこのまさに天丸山ということでした。

関係者のコメントが残っていて「あれは、今なら地対空誘導ミサイルです、B29撃墜を狙って、終戦ぎりぎりまで頑張ったんですが、間に合わず埋めたものです…」と。開発した吉田大尉は、爆発処理を命じられたが、仲間と不眠不休で開発できたと思うと、埋葬して浅間を去った、と後にコメントを残してしていますが、とても普通ではない処理の心情が偲ばれて長く私の中に残り、いつ来てもここの標柱が、若き技術者たちの「青春の墓標」の印象がある場所です。人を乗せずに敵機を撃ち落とす無線誘導ロケット開発に賭けた若き技術者たちの執念と、熱い技術者魂が今も埋まっている天丸山です。

写真下:この階段付近から正面の向こうの小浅間山に向けて発射試験が繰り広げられました。