禅宗で有名な名刹・貞祥寺を見る

端正な武士の寺、近くの禅宗の古刹を訪ねる (3/21)




春めいた陽気でずいぶん動きやすくなりました。先日、佐久市にある禅宗として海外でも有名な古刹貞祥寺を訪ねました。
私が住んで居る地域の神社のほとんどは諏訪神社なので、何故この地域は天台宗真言宗から曹洞宗になり、諏訪信仰に移ったのか以前から不思議でしたから、調べていると鎌倉時代に幕府の中枢に入った信濃の神(みわ)一族が諏訪信仰を全国に広めた形跡があり、また当時の武将の繋がりが信濃には数多く残されています。小笠原系伴野氏はもともと幕府の要職にあって鎌倉幕府の一大クーデター「霜月騒動」あたりから縁あって佐久に居住した武将(前山城主)でした。その伴野氏が建立したのが貞祥寺です。伴野氏が諏訪信仰の普及にどのように係わったのかは不明ですが、信濃が幕府と繋がりの強かったのは確かですね。 さて、このお寺、なんといってもここの伽藍配置が見事で、ここを見れば曹洞宗のスタイルが解ると言われているほどです。夏は海外から禅を学ぶ人も多く、また苔寺を見る人が多いと言われますが今は静まり返っていました。まるで小京都かと思わせる山門、惣門を抜け、本堂の左奥に佐久平の3つ目の三重塔をここで見ることができました。もとは廃仏毀釈によってここに移された塔ですが、野鳥等をレリーフした彫刻が残っていて好きな塔です。   時代が下って伴野氏は戦国時代に武田信玄に仕え、一説には最後まで勝頼に仕えて武田氏の滅亡を共にしたとも伝えられています。忠臣だった甲斐源氏の流れをくむ伴野一族因縁の端正な配置と佇まいは律儀で厳格な武将の影が残る寺でした。

※三重塔は松原湖畔にあった神光寺から移築とあります。また境内には島崎藤村の旧宅が保存されていて夏は公開されています。