東国文化を知らせる 多胡碑

「昔をかたる多胡の古碑」を見てきました。 (3/8)


高崎市吉井町浅間山の東南の方角にあって家から軽井沢を通って1時間ばかりのところですが、この町にある日本三古碑のひとつ「多胡碑」が一般開放される日でしたから改めて見学に出かけました。
碑は1300年以上前に奈良の朝廷がこの地に新たに「多胡郡」を羊氏に与えたことを宣明した文が刻まれていて、その日付が711年3月9日。それに因んで今日が開放日、そして資料館も無料開放されていてイベントも開催していました。
多胡碑は奈良時代の初めに碑文を賜っているけれど、「古事記」が出来たのが712年、「日本書紀」が720年という時代のものだからすごい。それに書体の評価も高い。この時代の上野国群馬県)は「東の奈良」(松村奈良文化財研究所長の話)とも呼ばれるほど栄えていたといいます。でも、漢字はまだ外国の文字、という時代でしょうから文字を読むのはほんの一部の人達だけでしたから、これを民はどんな思いでながめたのかと思うと、古代の呪術、言霊の塔のようでもあり、漢字がその後どのように日本人の文字になり、普及したのか興味尽きない碑です。

 今、この碑を含めて上野三碑(こうずけさんぴ)をユネスコの「世界記憶遺産」に登録する運動がこの地域で始められています。支援したいですね。なお上野三碑とは山上碑(681年)と金井沢碑(726年)を合わせて呼んでいます。