波乱の・・・恋

〈恋〉の来た道!・・・

きょうは桃の節句。今日を過ぎれば婚活も遅れないようにと、ひな飾りも早々に片づける人も多いのでしょうか。昔も今も心配するのは親だけ、ですね。さて今日は「こい」の話題。と言っても「金持ってこい!」というオレオレ詐欺まがいの話じゃなくて、愛も実もある恋にまつわる話、それも「嬬恋」の恋のことですが。

私たちの世代を含めて大半の人は学校で恋の文字を習ったことが無い、と言うと驚きます。どういうことかと言うと、明治33年の小学校令施行規則から始まって国定教科書(M37)に〈恋〉は入らず、戦後になって昭和23年の当用漢字表にようやく入れられるまで随分時間がかかりました。にもかかわらずこの時の学校向けの「当用漢字別表」(いわゆる教育漢字)の881文字に〈恋〉は入らなくて徹底的に邪魔者扱いです。だから、私達は大人になって〈恋〉を知ったと言うことになりますね。当時まことしやかに「教育には愛は必要だが、恋は大人になってから学べば良い」という制定時の声もあったと伝え聞きます。 さて問題字の恋ですが、つまごいむらの正式漢字は嬬戀村です。戀の文字は、こころ攣(ひ)かれ慕うようになる戀(こい)で、団欒の欒とも近くて暖かな漢字で旧字。今の文字「恋」の上の「亦」は人が物を両脇に抱える文字で、恋はAかBかを天秤にかける意味が入った文字なのだといいます。現代的ですね。 嬬戀村はいつ嬬恋村になったのか? 漢字の標準化、字体の統一、用法の統一など当用漢字を中心とする国語政策をためらいなく受け入れて恋を用いてきたようです。でもすべてが当用漢字字体表に従ったわけではなく学府の慶應義塾は慶応とせず、朝日新聞のタイトル等も旧字を踏襲しているのをみれば、浪漫ある村名「嬬戀村」も残せたに違いありません。 恋とはまことに厄介なものだったんですね。
 写真は須坂市にあるアートパークのひな飾りです。