軽井沢を愛した詩人が残したもの

夭折の詩人「立原道造と軽井沢展」を見て。

学生時代を過ごした東京に別れをつげて故郷の村に落ち着いた私は、初めての給料の半分近いお金を出して欲しくて買ったのが「立原道造全集全6巻」だったから、ことのほか立原氏にはお世話になったと言うべきかもしれない。すでに彼の倍以上生きてきたが、彼が生誕100年になるので軽井沢文庫(軽井沢町塩沢地区)へ出かけて久しぶりに立原道造の世界、抒情に触れた。
立原は若い身空で世を去ったが、晩年に交際し婚約していた水戸部アサイという残された女性の写真を見ていて、ふと気づいた。 立原にとってアサイという女性は、生涯「たったひとりの巡りあうべき人」であったのではないかと。 たった一人のめぐり逢うべき人、というセリフは朝ドラ「花子とアン」に登場する嘉納蓮子が道ならぬ恋に至る時の言葉なので恐縮だが、人生に一度あるか無いかのたった一度の出会であるなら、立原の若き晩年は満たされたものもあったかも知れないな、と今になって思ったのです。婚約者水戸部アサイさんはその後関係者から姿をけして30年後に関係者が長崎でお会いしたとき、独身で神に仕えながらひっそりと暮らし、立原から頂いた手紙15通を汚さず持っていたと言う。水戸部アサイとの交際で生まれた詩集『優しき歌』は全集に収められて、今私の横の本棚で眠っている。
(写真下・軽井沢高原文庫 ミュージアム