鬼押出し園の燈籠はすごい?

鬼押しの厄除けのため?上野から何故、霊廟燈籠が来たのか。
地元にいると、めったに行かない鬼押出し園。1951年に正式に開園した鬼押出し園は、創設した近江商人堤康次郎氏の様々な仕掛けが残っている。惣門ではない方から進むと、高さ2m50㎝くらいある燈籠が両脇にたくさんあるのを、きっと見ているはずだが、解説もなくわかりづらいのも確かだ。燈籠は全部で40基、ここに移築されたのが1957年と言うが、造られたのは延宝九年、つまり1669年と刻されている。「厳有院殿 尊前」のために奉燈したものだが、厳有院とは徳川家、三代将軍家光の長男家綱(1604〜1680)の院号のことだから、各藩から病弱な4代将軍家綱のために献灯した燈籠と言うことになる…。家光は日光に霊廟があるが、家綱は上野寛永寺にあり、燈籠もそこにあった。しかし先の戦争で霊廟の大半が焼失して管理も分散し、やがてここに移ったということか。惣門から入るところには二天尊像があるが、これも寛永寺から1987年にここに移ってきている。歴史を語る史跡が、何も語らずここにあるのも不思議だが、来る理由は園の上に立つ寛永寺別当院浅間観音堂にあった…。