山暮らしに必要なな漫画!?

自然派、田舎暮らしに人気!「リトル・フォレスト」
先週、昨年春から単身、高原に移住したYさんにお会いした。都会暮らしから山の暮らしに大転換のため、運転免許も取得して初めての雪国生活にきっと閉口しているだろうなと思いつつ話していたら、ここの初めての自然が素晴らしいと称讃多々。帰るときに、これ読んでみて!と貸してくれたのが、ここに取り上げる「リトル・フォレスト」です。
パラっと見ると、風景や植物画の下絵みたいにきっちり書かれた画風で普通っぽくない漫画ですが、よく見ると人も自然の一部に組み入れられたような絵にまず好印象です。
舞台は東北の片田舎の「小森集落」。主人公のいち子がここでの食材や料理を中心に、嬬恋にも無い加工と料理を、レシピを挿入して33篇にわたって生活しながら紹介。おっ食べたい!と何度も思ってしまうものばかりです。
ところが、読んでいるうちにストーリーが繋がっていることに気づきます。いち子が都会で彼とダメになって言葉が信じられなく、他人と向き合えないまま小森に帰ってきていたのです。さらに母が7年前に失踪していて、料理をするたびに母の気持ちを少しずつ理解し、同じことをしている自分に向き合うのでした。 同じように街から戻った青年の口から「他人が作ったものを右から左へ移している人間ほど、威張っている、薄っぺらな人間の空っぽな言葉にうんざり」と作者は語らせる。いち子は「一番感心なもの」を直視しないまま小森をまた去っていく準備をしている時、母から手紙が届いた。長い文の終わりにこうありました。「何かにつまずいて振り返るたび、私は同じ事でつまずいている。いっしょうけんめい生きてきたつもりなのに、同じ場所をくるくる円を描いて戻っただけ…でも、これは円ではなく〈らせん〉、人生のらせんだと思った」と。いち子は小森を出て再びラストに戻ってきます、婿を連れて。いち子も言う。「誰かの都合で振り回されるのは、つまらない」と。きっと作者は、自然や季節の都合、タイミングで働き、動くことは生きるにあたいするのだと言わんばかりのラストに心が高まり、登場するダルマストーブのような温かさが残る本、浅間高原の山暮らしにおすすめです。