四季派の舞台・信濃追分宿、その整備に驚く!


先週末、風も冷たい中軽井沢の「分去れ」の小道を歩いた。ほんとうに久しぶりに立った。就職したばかりの私は初めて貰った給料の大半を使って『立原道造全集・全6巻』を買った。東大の建築科を卒業した立原の 言葉を自在に操ったソネット形式の詩が好きだった私は、彼が最も好んだ信濃追分を何回か歩いた。若かったのだ。当時の追分は廃村の印象があり、質素な堀辰夫の別荘には「家族が住んでいるので立ち入らないで…」と紙に記されていたように思う。若く夭折した立原の年齢を過ぎると、いつの間にか本からも遠ざかっていったが、思いがけずに今回訪れて驚いた。町が僅かな旧道にある宿場景観の整備を進めていて、看板も道路もトイレも歩く人のために整備し、駐車場も造成中だった。ここは沢山の見所があるが記さないでおく。ただ、鮮明になったひとつの記憶があった…立原の「村ぐらし」という詩集に『泡雲幻夢童子』という戒名が登場するが、若く亡くなった娘の旅立ちの名前に感心し、いつか歳を取ったら自分の戒名ぐらい自分で考えたいな、と思ったのがこの一角にある浅間山・泉洞寺だ。記憶によれば、この寺は我家もお世話になっている常林寺から出た僧によって創建されたので、一層そう感じたのかもしれない。(注)
若い時の自分に再び出会うとは思わなかったが、歳月を経た私は、立原道造の詩は単なる自然の歌ではなく、命の輝きを詠っていたのだと智る。〈戒名〉はまだ遠い先だが、またここに来ようと思う。 (注、400余年前の常林寺第五世 心庵宗祥禅師の創建です)