常に噴火する山、浅間山の微噴火

浅間山の噴火に遭わないために (6/16)


きょう役場に出かけたら、駐車場にTVの取材、中継車が2台ほどあったが、公共の駐車場の正面に遠慮なく駐車しているその傍若無人ぶりは閉口する。災害時に役所を頼る住民、居住者が優先されるべきところを占拠する無神経こそ(役所も)問われるべきと思ったのだが、それはさておき、きょう浅間山が微噴火したと言う。
地元に住む人が取り立てて気にしないのは麻痺しているからではない。
私が子供のころ、噴煙だけの噴火や爆発する噴火が日常的にあったから大きな噴火があると近所の家の二階に上がって楽しんだ。戦前、戦後浅間山は活動期であったから山で見たこともあるし畑の草取りをしながら作物の向こうに見た記憶がある。子ども心に危機感が無かったのは、上級生が浅間の山の話をしてくれたし、囲炉裏を囲んで親たちの体験などを聞いていたからかもしれない。
TVやラジオの十分な報道が無かった時代、先輩やおじさんらの経験・口伝は独りで遊ぶ時に役だっていた。噴火(予知)に対する口伝は郷土史家萩原進氏が同じように記しているものがあるので挙げてみる。

浅間山の爆発に遭わないための云い伝え
 ○雉が山の方で鳴けば爆発あり。
 ○噴煙が少量になり、色が薄れてきて全く出なくなると近日中に爆発あり。
 ○付近の川の水が引けると大爆発あり。
 ○火口底が隆起すれば必ず爆発あり。
 ○火口から青色のガスが出ている時は危険。
 ○山頂付近でピリピリと感ずる地震があれば必ず大爆発あり。

雉の話は今でも確率が高く、山麓で一斉に雉が飛び立ったので慌てて逃げ帰ったら爆発したことを老人たちは記録で残しているし、煙の色は今も気にかけて生活する習慣がある。火口を見る機会が無いのは残念だが、常に活動し小噴火をする山だから仕方ない。常に噴火を繰り返す浅間山を見て育った者にとって、噴火は自然とともに暮らす厳しさを教えるが大ニュースではなく、噴火をしない時こそ不安であり、普通じゃないことを感じて身構える気にさせてくれる。
初めて噴火する火山の如く噴火のたびに取り上げるマスコミとの温度差が生まれる所以でもある。