真田幸村、大阪城入城から400年

和歌山県九度山から大阪城へ、

戦うことが生きることとは言え、戦国武将真田幸村が故郷信州上田に滞在できた期間は意外と短い。一番長かったのが関ヶ原の戦いの敗戦後に配流された九度山の14年間だった、というのも不思議と言えば不思議で、その14年間の生活と心情は計り知れないものがある。400年と言う歴史の節目に嬬恋から車1台、九度山大阪城を訪ねた。
九度山の「歴史フォーラム」は、中身の濃い報告に耳を傾けた。大阪城天守閣館長による「真田幸村の生き方」というストレートな講演だったが、書状の原文の解釈から14年間の様子が伝わってくる。資料から貧しい生活が読み取れるというのも確かかもしれないと思いながら、でもそれは監視を欺く幸村の巧みな生活だったのではないかという思いが増す。真田一族の守護神の山・四阿山で各地の情報をどの武将より集めた真田一族であればこそ、幸村もまた九度山で転機充るその情報を得ていたのではないかと信じられた。幸村最後の勝負、大阪冬の陣で再起を賭けて挑んだのが今からちょうど400年前。「義を持って成さざるは勇なきなり」であったのか。
大河ドラマも決まって九度山は熱かった。そして決戦の大阪城でも嬬恋村を含む関係町村が加わって盛大にイベントが行われるなど、400年経って盛り上がっていた。真田一族の影響を強く受けた嬬恋も気勢を上げるとき到来を思わせる。