エベレスト山域トレッキング報告

今年もよろしくお願い致します。

しばらくご無沙汰いたしました、6日にネパール・エベレスト街道トレッキングから無事戻りました。年初にその様子を報告させて頂こうと思います。


【番外編】 〜初めてのエベレスト山域トレッキング〜
◇奇跡の入域…
羽田から飛び、バンコク経由でおよそ12時間後、カトマンズ空港にさしかかると、いきなり搭乗機は上空で待機させられて6回ほど旋回したから何度もヒマラヤ山脈を見る。さらに空港の入国審査で2時間ほど掛かって入国した。エベレスト山域へは翌日にここからさらにルクラまで軽飛行機で移動する。ところが待ち合わせたガイドによると天候不順が続き、もう5日間も飛んでなくて、明日も難しいと言われ不安になった。可能性を信じて翌日は早朝から国内線の狭い待合所で待機したが、各地から来る人でごったがえし埃立っていた。私達3人が市内観光のルートを真剣に考えていた頃に、急にざわめきルクラへ飛ぶというアナウンスが流れた。誰もが信じがたく奇跡だと思った。後で知ったが翌日も運休したので1週間で1日しか飛べなかった飛行機に乗れたのだった。
◇誰も高所に悩まされる、高山病!?…
街道の玄関口ルクラから歩き、ゾッキョ(牛)とすれ違い、高い吊り橋を渡ったりしながら2日間歩いて、山岳交易の中心地ナムチェ・バザールという町に着く。すでに標高3,440mまで来た。ここでは少し高所順応を兼ねて標高の低いロッジと高い「エベレストビューホテル」(3,880m)に泊まったが、私に最初の試練が訪れたのだ。日本の5月に近い陽射しと冷気の独特の気候から日射病と思われる症状がでて、頭痛と嘔吐からダウン。用意した高山病予防薬を飲み、酸素吸入も受けるなどして一晩格闘し不安な一夜をホテルで過ごす。ホテルから先の行程は持病治療をしている松本さんと別コースが組まれていたから、すべては私の体調にかかっていた。2時間刻みで目が覚める高所の睡眠ではあったが、翌朝、目が覚めると奇跡的に体調が戻っていた!私はこの身体という宇宙に強く感謝を抱いた。
◇計画通りには行かない!…
私と佐藤さんの組は3thレイクのあるゴーキョ(4,750m)を目指して歩き出したが、2日間の予定のところを3日間かかってしまった。途中のロッジで風邪と高山病で苦しむ女性の面倒を見た佐藤さんに風邪が移ってペースダウンしたからだ。それでも、もう15回目になる佐藤さんは慣れていて一日遅れでゴーキョに着いた。すっかり体調良くなった私はゴーキョに着いて初めて高所順応のために目の前にある山ゴーキョ・ピーク(5,335m)にガイドと二人で登ることにした。最後まで急な登りは5,000m前後から呼吸が苦しく足も止まり動きづらいが、呼吸を整えて何とか時間内に山頂に立てた。苦労をして見る景観は素晴らしく感動が湧きあがるのを覚える。なんと気持ちの良い世界なんだろう。頂上にはブッダの像が安置されていて西陽に照らされて微笑していた。

 写真はゴーキョ地区で3thレイクとロッジの後ろはゴジュンバ大氷河

◇テントに泊まる!…
翌日、今回の目的地のキャンプ地に向けて出かけることにした。宿泊で一緒になったフランス人夫婦に「こんなタフな日本人は初めてだ」と言われた。チョオユー(8,201m)の真下にあるベースキャンプ地の少し手前に「5thレイク」がある。氷河沿いに遡上するがクラフトした雪が残り、およそ5時間掛かってようやく辿り着いた。その湖畔近くにテントを張ると、夜中のテント内は−10℃になっていた。新月近かったから夜空は満天の星空が見え、天の川が頭上にあった。ここは宇宙そのものだと思えた。
4,000mを超えたあたりから食欲が落ちていた私たちを喜ばせたのは、コックが作ってくれた日本食だった。コックを含めてテント資材などの運搬のために3人のポーターをお願いしていたが、彼らの支援は本当に嬉しく素晴らしい。
翌日、少し体調の戻った佐藤さんが、目の前にある「ピッツレピーク」に登りたいと言う。今度は約5,600mの山だ。その先に聳えるのは国境に座すチョオユーがあるだけの場所でもある。好奇心健全の私は即賛意し挑むことに。やはり山頂付近は苦しかったが山頂の姿が素晴らしかった。もちろん眺望もだ。エベレスト(8,848m)ローツェ(8,382)マカルー(8,425)そして直ぐ横にチョオユーの8,000を超す山を一望する贅沢な場所だった。おまけに快晴だから名もない山が明確に林立していた。眼下にはエべレスト最大の氷河が流れていた。

下山して再びゴーキョに泊まり、翌日は三つ目の山「レンジョパス」(5,300m)超えに挑む。朝から夕方まで歩くので、きつい一日となったがヤクやゾッキョもここを超えると言う。扇状地を3回ほど登りあげる地形には雪があって辛かったが、最後と思い踏ん張るが、登りあげた頂上の景観も素晴らしい所だった。ここでエベレストを見納めし、峠を越えた私達はさらに牧歌的な流域を2日歩いて下り、隣国チベットとの交易の街道だった流域の史跡などを見ながら1月1日に松本さんと無事再会し歓んだ。

今回、私達は自主企画のツアーだったから、このトレッキングも3人でやれる範囲の目標を立て、それに向けて準備し、努力してきたつもりだが、ヒマラヤには、人智を尽くしてなおも及ばないことがたくさんある。天候やガイド、ポーター達に大いに助けられたし、それに決して若くないから血中酸素濃度測定器も持ち込んで体調の管理をしたのも良かったようだ。また山域を熟知した老舗ヒマラヤ観光開発(株)の支援、アドバイスはとても役立った。毎日感動し、感銘を受けながら最良の日を続けられたのも支援して頂いた皆さんのおかげであった。(感謝多々)

ピッツレピーク(5,560m)から見るエベレスト(左奥の高い山)

ピッツレピークの山頂部、後ろはチョオユー