エベレスト地域の村

日本人に馴染みやすい?エベレスト山域の暮らし!
今回の海外トレッキングにあたっては、経験者の記録や報告を色々と見るたびに、比較的年配者の方たちの多くが日本の昔日の面影を記していたから、その光景、風土はどのようなものなのか興味があった。

エベレスト街道の玄関口ルクラと言う町から入って2日後にナムチェ・バザールと言う、交通の要衝の地、交易の中心地に着く。クンブ地方の中心は標高が3,500mにもなるが、この少し高台の平坦地にはクンデやクムジュンという景観にも優れた町もあり、一帯は理想郷のような感がある。そして地域の背後には聖なる山クンビラ山(5,765m)が聳えている。登山は禁止されているが、この山はやがて日本に伝わり「こんぴらさん」(金比羅山)になったとのだという。一帯を含めヒマラヤ高地は古くからチベット仏教が栄え、ストゥーパと呼ばれる仏塔を老婆が経典を歌いながら周回をしているのを度々見た。今も人々は神の加護を受け信心深く生きている。

私たちのガイド3名も地域の出身だったせいか、ロッジに着けば厨房に入り一緒に手伝い、配膳から会計までをアシストしてくれた。また、道中一軒だけの茶屋で休憩のお茶にしようとしたとき、店の若夫婦が石割作業をしていると、代わって石割りをしたのでお茶を飲むことができたが、彼ら種族の互助意識は強く、それはかつてあった日本の地方の地縁組織的な繋がりのように思うことが多かった。彼らは口数こそ多くないが総じて真面目なうえ律儀であって、私達日本人に相性が良い。表現が適切か否か判らないが、私には東北の人のような印象がした。友人は「嬬恋の隣の集落の人みたいだ」と言ったが。荷物を運ぶ21歳のポーターは、山から下山する私たちを中腹までミルクティーを持って迎えに来てくれて感銘もしたし、友人のカメラバッグ運搬と補助をするガイドは暮の31日、厨房を熱心に手伝っていると思ったら夕食後に突然大きなニューイヤー・ケーキをプレゼントして戴き、私たちを驚かせ感涙ものだった。

 
短期間ではあったが私達のような旅行者は自分の生活と比較するから、つい長閑な生活風景と感じてしまうが、彼らは家族を守り、互いに助け合い、神や自然に感謝しながら厳しい自然と共存して来たのだという思いがした。豊かな〈絆社会〉をこの山岳地帯に強く感じた。
(現地のメイン山岳ガイドが夏に日本の槍ヶ岳近くのロッジに来ることになった、楽しみだ。)