北白川宮は奥羽越列藩同盟のトップにもなっていた!

地域の教材は活かされている? 北白川家からの賜物
日曜日の大河ドラマ「八重の桜」を見ている人は年配者に多いのかもしれませんが、先日のドラマに奥羽越列藩同盟が出てきました。この奥羽越列藩同盟の首長に奉られたのが、浅間高原にも深い係わりのあった北白川能久親王でした。寛永寺上野戦争の後、北白川宮は東北に逃れていたからです。NHKは皇室に関わることなので触れないようですが、東北では、明治の日本武尊そして東北の武尊「東武天皇」として語り継がれています。その、北白川宮の子供(二荒伯爵)が北軽地区の応桑小学校を卒業した折、お礼に金一封と桐の紋章が送られて今も、大桑小学校の校長室に掲げられているのです。二荒王はここを卒業すると、狩宿の友人と一緒に学習院に行きました。以前に私が訪れたとき、謂れはあまり聞いていない様子でしたが、TVをみていて歴史を語る貴重な教材の活用を心配したのです。