遠くて近い!極東ハバロフスクの衝撃

カルチャーショックくすぶるハバロフスクの旅

あまり回数が多くないせいか、海外の旅は感動することが多いが、衝撃を受ける旅はまれに近い気がする。その衝撃のひとつにロシア極東の旅があげられる。訪れたのは確かソビエト連邦から今のロシアに移行して3年目でした。移行の中で混乱もあったが、事前に様子を知るものが無く、唯一JTBのガイドブックに2,3ページがあるのみでした。それでも出掛けたのは、仲介してくれた金井彰久さんが、日本の新劇50余団体の座長をしていてロシアの劇団を通してハバロフスクの会社と交流があったからでしたし、若かった私は金井さんから色々と教えて頂いた縁があったからです。新潟から出ている週1便のアエロフロート機に乗ると、終始ガタガタ音がしましたが、約1時間少しでハバロフスクに到着。5月の連休とはいえ日本の明石市の真上なのに夜8時くらいまで明るく、緯度の差を実感して一週間が始まりました。金井さんの代わりに浅間高原に住む友人を筆頭にアメリカ人を入れて総勢5名、それに通訳1名で過ごした1週間です。郊外に流れるアムール川はまだ大半が凍っていましたが、60万人の街は春になっていました。宿泊した国営ホテルは一泊500円、タクシー1日500円、当時の私の給料で1年間生活できる経済でしたし、街中の車は殆ど日本の中古車と言う時でした。そうそう、旅の目的ですが、この街にある劇団「チューズ」の役員の会社と新しく経済交流のための窓口を確保することにありました。そのために現地の社長さんが経営している農場、野菜生産ハウス、別荘地、劇団施設の見学やら共産党員の自宅訪問やら市場見学などに案内していただいたのでした。街角には所々に若い女性が物を売っていましたが、とても綺麗に着飾っていたのは、国が貧しくとも自分の生活は綺麗にする国民性だとか。また、なんと言っても人種の多さに驚きです。白ロシア人、ジプシー系、中国系、イスラム系、アフリカ系など本当に多いが、白ロシア人は基本的に海外と国内用のパスポートを持てるのに、他の民族は、国内用だけだと聞いて唖然としましたし、市場ではジプシーの家族が金髪の子供を連れていたので、当然に交流があるのだと思っていましたら、通訳が子どもは民族の血が濃くならないように、モスクワなどで誘拐した子供だ、と言うので、私は顔を見合わせてしまった。何故捕まえられないのと聞く前に、各民族はそれぞれのネットワークを持っていて、踏み込めないし大変なことになるから仕方ないのだと言う。そして、ロシアの学校の集団下校は自らを守るためにしているのだと言われて、私の頭の中の常識は此処では非常識であること知ったのです。さらに、ソビエトが崩壊してもKGB白ロシア人を守るためになくてはならない組織だと付け加えたのでした。そういえば、翌日の計画もすべて夕方にならないと決まらないのは、信用できる人が間に入らなければ動かないとういう自衛のための行動様式と聞かされていたが…。日ごとに緊張感を覚えての行動は、最後の前日になって急に、州の経済局長から招かれて面会することになった。内心不安もあったが。局長は言った「君たちは信用できる事がわかった、これから上手く行くように支援したい、税金も特別に…」と言われホッとしたのも束の間、隣にいた背の高い男性がテーブルに写真を並べて言う、「君たちの行動を一週間撮らせていただいた、不審なものはなく信用できるその写真だ」と。
近くて実態のわからない国の一端を見ただけなのに、帰途の飛行機の中で、この国は白ロシア人が納めるしかないのかもしれないと思ったことが、今も変わらずにいる。
(お世話になった金井彰久さんとその友人二人はすでに鬼籍に入られた。感謝を届けたい。)