大笹街道(仁礼街道)の道しるべ

街道の道しるべ百番供養塔の春

村から上田市へ通じるR144号線の峠、鳥井峠を今のように車が通行できるようになったのは、昭和初期の戸部彪平村長の功績によるところが大きいが、それ以前の仁礼街道(大笹街道)はもう少し山側にあった。すでに道肩は形を留めなくなってきたとはいえ、峠の手前から林に入ると、今も道標の百番供養塔がポツンと立っている。
大笹宿から来た旅人はここで、左の上田へ行く信濃道と仁礼街道に分かれた。仁礼街道の峠は当時、油峠と呼ばれたと言う。北信濃の菜種油が頻繁にここを通って運ばれたからだ。街道は須坂の福島宿を起点に大笹宿を通って沓掛まで2宿14里だったのに対し、北国街道は10宿20里を要したので、裏街道とは呼べぬほど人通りも多かった。増えすぎたために北国街道沿いの宿場などから不満が出ると幕府は、北信濃以北の通行人を仁礼街道に認め利用区別を行うほどだった。…様々な往来を見守り、触れられてきた百番道しるべも、今は野鳥の声を聴き、樹木たちと渾然化して静かな余生を過ごすかのように建っていた。