「おとなは、だれも、はじめは子どもだった…」(星の王子さま)より

この13日〜14日の未明にかけて、ふたご座流星群がありましたが、見られましたか?私は早朝に5つばかりをしっかりと。星を見て思い出しました「星の王子さま」を、ではなくて、それを初めて翻訳した内藤濯(あろう)さんの王子、第一子を。
たしかH11年の今頃でした、私が戦時中に浅間山麓で行われたという我が国初のロケット実験について調べていたとき出合った本が「機密兵器奮竜」です。その著者が内藤初穂さんという人でした。細かな取材による詳細な記述と、ご自身が所属した海軍技術本部の立場からの内容に熱くなりながら読みました。健在か否かわからぬまま私はすぐに手紙を送ったのですが、数日後に電話がありました、本人から。驚きました。声も若くて耳を疑いました。私は、本文を引用したいこと、中の写真を使いたいことだけは伝えすんなり承諾を頂きましたが、緊張してほかの話はあまり記憶できませんでした。ただ、浅間高原には取材で幾度となく訪れたようです。その後で初穂さんが内藤濯さん(1883〜1977)のご長男だと知ったのですが、父親の濯さんは、あのサン・テグジュペリの「星の王子さま」を最初に翻訳した著名な方でしたから、なぜ軍のここにいたのか不思議でした。
初穂さんは戦争という時代の中で東大を卒業してすぐに海軍の造船技術士官になり、終戦間際に、初のロケット「奮竜」の開発に従事したと記しています。戦後、出版業そして作家として活躍していましたが昨年の秋に90歳で他界したと知りました。戦後に出版した父親の訳本「星の王子さま」は50年間で600万部が売れたと言います。戦前、戦中、戦後の時代を通して、輝く親子の星を見るような気がしました。
今月のNHK水曜日の「100分de名著」の番組は4週にわたって「星の王子さま」を取り上げています。また関越自動車道の上り線の寄居PAは「寄居星の王子さまPA」に変わりました、寄ってみたいですね。(写真は父親の翻訳本と初穂さんの著書です)