群馬坂の碑

地名「群馬坂」を築いた『林道竣工記念』碑は残っていた!
嬬恋村浅間山の麓でしゃくなげ園の近くの沢に、忘れられた碑が無事に残っているのか心配で尋ねたら、周囲を刈り払いした方がいてうれしかったですね。かつてここは戦前戦後を通じて幾度となく、前橋刑務所の入所者によって作業道が作られ、樹木が搬出された地区でした。そのために群馬坂と言われたと伝わっています。明治中ごろに広大な南木山が払い下げされた時、今の六里ヶ原〜鬼押し〜この一帯までまでを最初に所有したのは佐々木政吉氏(1855〜1939)でした。今の東大を卒業後ドイツに留学し、帰国後医学部の教授となり、日本人で東大医学部の医学博士第1号の方です。明治29年には杏雲堂医院の医院長になり、今も平塚に医院があります。この佐々木さんが南木山払下げを実現した偉人、本城安太郎氏の最大のスポンサーだったのです。昔を辿る碑が無事で安心して戻りました。