富岡にある陸軍中野学校終焉の地碑

 
 富岡高校敷地に残る碑『陸軍中野学校終焉の地』を訪ねて。
富岡市は今、製糸工場で人気なのでそこも一応見学しましたが、私が見たかったのは旧七日市藩邸跡地(現在の富岡高校)の一角に関係者がひそやかに建てた碑『陸軍中野学校終焉の地』です。 村の鹿沢地区には陸軍予科士官学校があったことをその碑に触れてここのFBでも触れましたし、信州川の望月町には相模原から士官学校が全部移転したことも以前に記しました。でもそれだけではありませんでした。
鹿沢の学校には多くの教官がいましたが、その中に陸軍中野学校の教官も混ざっていました。それが何人なのかは判りませんが、その一人に私は偶然仕事で鹿沢の跡地に案内したことがありました。都内の学園の理事長をしているという堅気そうな老人?は、確か二度目の時に、自分がここで教官をし、中野学校から来ていたこと、戦後自分たちは教育に心血を注いだこと、戦後の私立大学の大半の設立にかかわったことなど噛みしめるように話したのです。若かった私は、それがどういうことなのか全然判りませんでした。
陸軍中野学校は我が国初のいわゆる諜報機関だったので陸軍参謀本部の直轄機関でしたが、戦時下、この学校もS20年4月に富岡の藩邸跡地にそっくり移転していました。案内した理事長もここから鹿沢に来ていたのです、おそらく優秀な人材を引き抜くために。
最近になって偶然、知人からこの理事長について教えていただきました。小中高を擁するトキワ松学園(目黒区)の第10代校長の實方亀壽氏(1910〜1988)で、生涯、教育者でした。