隣の街の「蘇民信仰」

新春・八日堂縁日と蘇民将来の護符

松の内七草粥の7日、久しぶりに信濃国分寺八日堂(上田市)の縁日に行った。地域最大の縁日は相変わらず混んでいたが、会場の一角を占めるダルマ市の賑わいを見ながら参詣も軽く済ませて、この縁日にしか無い「蘇民将来符」を探した。災難除けの人気護符だ。ドロヤナギ(ヤマナラシの木)から作った六角柱形の護符は全国にある蘇民信仰の中では極めて優れていると言われている。その蘇民信仰の中心には牛頭天王(ごずてんのう)という神が据えられているが、歴史上の謎も多い。長年、気に掛かっていた蘇民将来について学ぶ機会となった。

牛頭天王は古代に韓国(経由)から渡来した神とされているが、もとは遠く仏教の聖地である祇園精舎(祇樹給孤独園の略)の守護神とされ、病気を治すセンダンの樹が生えている牛頭山に由来するという。 我国へ入って京都祇園、八坂神社等の守護神になっているが、なぜか日本神話では荒ぶる神スサノウと同一視された経緯があって複雑だ。また、蘇民将来縁起を記した古写本「牛頭天王之祭文」が八日堂の隣の資料館に保存されていて解説が分かりやすい。ここの祭文は1480年の書写となっているが時期の判明したものでは最古という。時代は下ってこの祭文が修験道系の代名詞にまでなっていった。仏教的な起源を持つ神が日本神話の神に係わることだから、明治になって国学者神道学者から牛頭天王は目の仇とされて抹殺を受けた。(神仏分離令)。独自に発達した修験道も禁止令が出されて表舞台から消えた経緯があって蘇民将来は今日、いっそう解りづらい。


不幸な道をを辿ったとはいえ、この縁日で500年以上続いている蘇民将来の護符には、修験系の九字を切る網模様が描かれ、茅の輪くぐりと思われるデザインも残り続けている。参拝した国分寺天台宗)本堂の屋根瓦には修験系の天狗が載っていて地域の深い繋がりがうかがえる。
根強く残る八日堂の縁日文化を観ると、真田一族が守護神の山として崇めた四阿山が永く修験道として発達したこと、そして山頂に祀られた菊理媛神(くくりひめ)が〈高句麗媛〉と言われる所以にも合点する。