なぜ、浅間山には鬼がいるといわれたのか。

浅間山は鬼が棲んだ山?



地元では浅間山が噴火、爆発すると、鬼が怒った、鬼が暴れたと言ってきた。流れ出た熔岩さえ「鬼押し出し」熔岩と言うくらいだ。黒斑山に登れば見える牙山は鬼の歯の山と伝えられる。山頂にあるべき剣ヶ峰は牙山の横に鬼が剣を持つように並び立つ。ところで北国街道から見る浅間山は鬼門の位置にあるので当然のように昔から鬼が棲む山だと誰もが思うのも不思議ではありません。でも鬼の話は日本各地にありますから、浅間山だけ強調されて残るほどでもないのですが。そこには千曲川沿いに伝わる鬼の伝説ともかかわってきたと思えるのです。

何故「紅葉狩り」と言うのでしょう
北国街道沿いの戸隠や鬼無里別所温泉などには鬼の美女伝説が残り、そのモチーフが平安時代から江戸時代にかけて、能や歌舞伎などで「紅葉狩り」という舞台が演じられ流行っていました。都から信濃に移り住んだ鬼女はやがて夜な夜な悪事を成すのでついに都から平維茂(たいらのこれもち)が討伐にやってきて討ち取るという仕立てのようです。鬼女の名前は「紅葉(もみじ)」。紅葉狩りとは昔、鬼狩りのことを指していたんですね。
戸隠には鬼女と戦った場所が残され、「鬼切」という地名もあるといいます。また別所温泉には平維茂の墓まで残されているとか。 紅葉狩りに代表される鬼だけではなく、修験系の天狗の話と混ざって千曲川沿いは鬼の話が多く語られていて、浅間山にも至極当然のように鬼が信じられてきたのでした。ところで鬼無里村は10月16日、第17回鬼女・紅葉祭りが行われる、と流れていて鬼に係る文化を繋いでいます。千曲川沿いから浅間にかけて、鬼は広く信じられていた風土がありました。 
ところで浅間山の鬼もやがて虚空蔵菩薩によって善鬼となり、ふもとに鬼神堂が建てられ崇められたと伝えられていますが、度重なる噴火で鬼神堂は今は見当たりません、いま菩薩は北軽井沢地内の桜岩地蔵地に残されています。

写真上:浅間山鬼押し出し熔岩流の斜面
  3番目は上田市白山神社に飾られている鬼です。 
  下は四阿山から見た浅間方面です。